社会には、すがれるものなんてない

4月を迎え、東京では新卒の若者が公共交通機関に溢れ、ものなれないため社会人の邪魔をし、就活解禁で昼間は、スーツを着てみました、って感じの学生が通りをうろちょろしている。

毎年、このシーズンになると思う。

つまらん理想をもつな

あの新卒の男女が同じ会社の人間とつるんでいることで安心している顔を見ると、おかしくてしょうがない。笑いたくなる。
残念だけど、会社はサークルじゃないのよねー。

数年経てばバラバラになるのに。。。

まさか、就活中の学生がこんなブログ見るとは思わないけど、これは就職している人にもいえることだと思う。

そもそも学生の行きたい企業って、今がピークかもうピークを過ぎたところしかない。

2013年のものを見ると商社、銀行、NTTデータ。

商社に勤めるってことは、給料もいいが身を捧げることになる。
これはなにを意味しているかというと、扱う金額は大きいが、労力が多く儲からない仕事をしているということなのだ。
商社ビジネスの問題はこの「規模が大きくないと評価されない」ことにある。
もっとも海外に赴任し、日本人村に行くと外務省の次に偉いとされるらしいので子女は鼻高々になれるかもしれない。

が、俺みたいに長年外資系で働いていてアメリカやらヨーロッパやら行ってた人間からすると、「現地の人はそんなもの知らないよ。」である。

こんなこと書いておこう。
何十年か前、サンノゼで俺は交通事故を起こした。側道から走ってきた車が、俺の車のサイドにぶちあてた。100%向こうが悪い。相手は白人女性だったがクスリをやっていていた。
俺の乗っていたスバル レガシーは大破。再起不能となった。警察が俺のレンタカーの約款を見て「車が大破したら本人の弁償って書いてあるぞ」と教えてくれた。

さぁ、日本企業ならどうするのだろうか?日本領事館に行くか?

びびって日本の上司に電話したら、向こうで調べてくれて返事がきた。
「IBMとHartzの間で特約があって、そういう場合はIBMが払う。めったに起きないから保険にはいるよりそのほうが安いんだそうだ。」
なにごとにもリスクマネージしているグローバル企業で働いていてよかった、と思った瞬間であった。
(もちろんイマドキの日本企業なら対処してくれると思うけど)

商社という存在は日本にしかない。それはなぜか?深く考えるべきことだと思う。理由をよしとするのか、やめておこうとするのかは人生観だ。

日本の銀行はゾンビのようだ、と私は思う。
ここ10年以上、株価によって彼らの利益は上下する。子会社にサラ金とカード会社をかかえ、預金者から金利を奪うことで生きている。銀行からすると預金者はカモである。
企業は貸し剥がしで銀行を信じなくなっている。したがってお金を借りなくてすむように莫大に内部留保している(これが給料があがらない一因ではあるが、銀行をそうしむけたのは元はといえば財務省がそう指導したからだ)
それで足りなければ、市場から調達する。
突然の貸し剥がしなんていうのは銀行がどれほどめったにないと言おうが、ありえる以上とうてい受容できるリスクではない。
資本、債権はそういう裏切り方はしない。

戦後すぐと異なり、今の日本の銀行は決済機能以外に存在意義が不明だ。
TPPでアメリカの銀行などが本格参入したら終わりだろう。
なぜならば、金融経済の世界で金額だけは大きいのに邦銀はずーっと負け組であり続けてきた。
わかりやすくいえば、預金者にまともな金利をつける力がない。リスクの査定をする力がない。リスクを乗り越える決断力もない。
ガチで競争したと仮定し、勝てる要素を見いだせない。
そんなところで働いて、自分はどういうスキルを身につけるだろうか?

NTTデータが大企業なのは官公庁のシステムの一次請けをするから。自分たちで作っているわけではない。その下にNEC, 日立、富士通などが現物を作る。誰が専門家であるかは明らかだろう。

こうして見た時、学生は後先を考えずに、ネームバリュー、給料だけで就職を決める。これは毎年変わらない。
そこを目指すのが悪いといっているのではない。今の評価だけで他を下に見ることが問題なのだ。
なぜならば、これから伸びる企業は明らかに、今、見下している中にある。

恐ろしいと思わないのだろうか?自分が知らないところに、今後、人が羨むような企業があるということに。

4年後に伸びる企業が明らかになった時、今の会社を捨て、仕事を変えられるだろうか?

自分の経験を3つ書いておく。エッセンスを上から目線で書くよりよいかもしれない。

1. 就活
大学生のころ、就職活動をする時に思ったことは「付加価値をつけられる人間にならないと食いはぐれるだろう」であった。経済学部であったから、理論上そうなる。

友達ほど他人に億面もないおべんちゃらはいえないし、聞く価値がない授業を延々と聞いて優を取るだけの根気強さもない。
だから好きなジャンル、電子機器をいじるところに行くしかないと思った。

当時の友人が金融だ、商社だ、役人だ、といっている中、目もくれずにコンピューターの会社(メーカーに分類されていた)を回った。

志望動機なんか簡単だった。「好きだから」

まだ誰も行かない時に「お願いします」というからすぐに採用された。しかし、そのころパソコンを万人がもつとか、電車の中でみんながiPhoneに夢中になるなんて夢にも思わなかった。
外資系、IT革命、は目前だったのである。

2. エンジニア
仕事をする中で数多くのエンジニアに出会った。

  • メインフレームのIOS(入出力装置管理プログラム)の専門家。
  • 都銀(吸収された)お客さんに信頼されているエンジニアのマネージャー
  • Lotus Notesについてよく知っている人(これは本当に多かった)
  • DelphiとMicroSoft COMについてよく知っているフリーの若者
  • SNA(IBM独自通信プロトコル)についてよく知っている人
  • IBMでマネージャになれたら安泰だと思っていた人
  • ITバブルのころ「懸賞応募サイトに住所氏名を自動入力できる」ことでベンチャーで大儲けと思っていた人

ここに挙げた人々は、苦労して覚えたこの技術で一生やっていけると思っていた。だから、俺は、私は、変わる必要ないと思っていた。
確かにその技術が自分がゼロから作り上げ、世の中に広め、改善していくものであったならば、一生やっていけたかもしれない。
しかし、どれも技術そのものは他人のアメリカ人が作ったもので、それをいくらよくなぞっているからといっても製品としてのマーケットの流れに従うしかない。

この人達は会社、製品の盛衰とともに、自分も廃れたのだ。

昔、知り合いと私が設立した会社は「プロジェクトマネージの技術で一生食える。」と考える人が「技術に永遠なものはないから勉強しつづけるべき」という私を否定し追い出した。
10年経った。
彼ら寝ずに働き、まだ存在しているのは立派だが、まったく成長しないままだ。
大企業もいいとこの、今、私がいるERPの会社ですら2倍以上になっているのに。

儲からないジャンルで努力しても、儲かるジャンルには勝てないのだ。

3.  私の技術の習得
ITの世界についてしか、きっちり語れないのでITでの技術習得について書く。

今はオープンソースの時代といっても過言ではない。
こういう時代にどうやって技術を身につけるかというと、多くの未熟なエンジニアは、ぼけっと口をあけて誰かに教えてもらうか、仕事で覚える、と思っている。

それは大きな間違いだ。

技術は至るところにある。オープンソースといっても有名にならないプロジェクトは有名どころの100倍はある。それだけソフトウェアは巷にあふれている。

逆にいえば、本屋にいって本が存在する技術はある程度成功した技術といえる。

そういう本もネットの情報も見ずに会社や周囲にすがって自分の技術を作ろう、語ろうとしている人間は、ずーっと社畜、奴隷、見習いのままだろう。

私自身が会社から「研修を受けなさい」といってうけたものは、新入社員研修、基礎教育、職務に関係ある研修コースくらいだろうか。

それらはむしろ例外で、やりたいテーマを決めて、プログラミング言語を増やしたり、オブジェクト指向を試作してみたり、新しいパッケージ(WordPressみたいな)を試したり、ハードウェア買ってプログラム焼きこんでみたりして新しい技術に触れることで知識を増やしていった。
それがもっとも仕事で役にたっている技術的知識だ。

今後どういう技術がメジャーになりお金を稼ぐものになるかなんて誰もわからない。
だから無駄でもいいから技術を学んだり組み合わせたりしていくしかない。

勉強は誰かが教えてくれるもの、勉強を新たにしたくない、というのならば、この業界から去ったほうがいい。
それはどの業種でも同じだと思う。
例外は京都の友禅染のような伝統技術しかないのである。

たまたまITの分野は変化が早い。他の業界の変化を早回しで見ているようなものではないだろうか。
世の中は変化し続ける。それだけが鉄則である。

時代、時代で人が描く理想は変化する。だから、今の理想にしがみつくな、と冒頭に書いたのだ。
会社にしろ、技術にしろ、安住の地はない。

変化できない人間は必ず脱落する。

そのことをキモに命じておけば、スタートがどこでも構わないと思う。どうせ変わる。
世界にはいろんな職業があり、いろんな経験の組み合わせからできている。

仕事を変える時に話題になるキャリアパスなんてものは変化を知らない人間がのんきに過去は未来の延長だと考えているから言えるものだ。
自分のいる会社がなんとなく未来永劫このままだと思って暇だからキャリアパスとかほざくのである。
冗談でつきあうべきであって、こんな時代に自分のキャリアパスなんて理論的に作れるわけがない。

地球から月にロケットを飛ばすための計算は高校生でもできる。しかし、専門家が一生懸命やっているのは太陽風やいろんな重力や、刻々とかわる諸条件が存在するからだ。
これでわかるとおり、単純なキャリアパスはモノを知らないほどできるのである。

未来に介入してくるファクターがわからないのに、どうやって自分の目的地への道がわかるのだろうか?

転職サイトに行き、20歳代だか30歳代だかの頭の悪そうな「人材キャリアコンサルタント」の兄ちゃん、姉ちゃんの話なんか鵜呑みにしたところで仕事はない。
彼らは、そういえ、と上から言われたことを繰り返しているだけで、その「上」はお客の企業の訳のわかってない人事がいうことを繰り返しているだけ。

なぜならば、(人材紹介会社が一番ふれてほしくないことだろうけど)?彼らの給料は集めた人材からではなく、募集をかけている会社の人事部から支払われるのだ。
人事部に見せびらかす多くの候補者の履歴書が欲しいだけで、あなたのキャリアパスなんて、どーでもいいのである。

最後は権威の力を借りるとしよう。

宋文洲さんも似たことをおっしゃっている。

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