就職において文学部は不利だとよく言われる。
大学側もよくわかっていて、今どき「文学部」なんて看板を掲げているところはほとんどない。
「◯◯コミュニケーション部」とか今風なタイトルに看板を変えている。
その中でもっとも不利であろうと言われているのが「哲学科」らしい。
それは理解できる。
なによりも世の中のほとんどの人が「哲学とはなにか?」を知らないはずだ。
私だって若い頃は知らなかった。
哲学って少しかじると、人類が過去に悩み苦しんだことへの考え方の集大成だということがわかる。
言い換えると、私やあなたがこれまでの人生で悩んだことなんて、すでに考え方は提示されているのだ。
どれを選ぶかは引き続き私やあなたの人生ではあるけれど。
今、就職で採用側が二言目には「コミュニケーションが取れる人」とか言っているけど、コミュニケーションを取るという人間の間で行われれる行為について、考え方はとっくに哲学の中にリストされている。
偏差値偏重教育で学ばない日本のビジネスマンが知らないだけだ。
しばしば英語から翻訳された小説の扉や、プレゼンテーションの冒頭にギリシャの哲学者の言葉が記されていたりすることを目にしたことはないだろうか?
英語圏で博士号を取った人のタイトルにPhD.と書かれているのを見かけないだろうか?PhDの略はDoctor of Philosophyだ。
真理発見の道を身に着けたという意味にとらえるといいのかもしれない。
これらはPhD.を授ける大学は同じ文化で同じ思想の潮流をたった今も大事にしているということだ。
ビジネスマンが一流になるには、ギリシャ哲学以降を学んで、ある程度のラテン語の言い回しを理解できていないと教養の貧しさが出てしまうのだ。(コギト・エルゴ・スムだけじゃ足りない)
日本でも昔は西田幾多郎「善の研究」など世界に誇れる哲学者がいた。
哲学をやっている先生や生徒が本当にやるべきことは、哲学とは過去の人類の考え方の集大成であり、哲学を学んだ人間は発想のパターンを知っているということをもっと柔らかくアピールすることではなかろうか。
具体的には浅い屁理屈などを覆すのは造作もないことだろう。
そして、知っているだけではなく応用していくことだと思う。
学校を出たら勉強しないで、どんどん知性が下がっていくのが普通の日本では、適宜、うまくアピールしないと学問自体の存在が亡くなっていくのは残念だ。
いまや教養を学ぶの絶好の場となったYoutubeで「哲学」で検索して、すきなものを見てほしい。
きっとあなたも哲学が自分の人生をリッチにしてくれることに気づくはずだ。
死ぬほど追い詰められている人も、答えの選択肢は与えてくれる。
繰り返すが、人生で起きる悩みに新いものなどないのだ。
人類数千年の叡智が蓄えられている学問が評価されないのはとても残念だ。