雑感(日記)

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

最初にお断りしておく。
俺は60歳過ぎのジジイだ。
こんなアニメを見るにはふさわしくない年齢で、見たというだけでキモいと言われると思う。
実際、自分の親が60歳のころ、こんなアニメを見ていたら「どしたん?」と聞きたくなったことだろう。

いや、だからこそジジイがこういうアニメをどう見ているかを書くことに意味があるのではないか、と思って書くことにした。

自分の忘備録でもある。

 

そもそもこのアニメを発見したのは、「大人も泣けるアニメ」ランキングでたいてい出てくるからだ。
しかもNetflixですべての回(のぞく「劇場版」)をやっている。

それで「どれどれ」と見始めたのだった。

辛辣に見るならば、戦争の状況もダメージもこの映画ほど甘いものではない。
が、そういうことを指摘して芸術作品が目指すものを見ないようでは芸術は成り立たなくなる。
参加者がある程度納得できる背景があればいいのだ。

もちろんこの作品の主題は「愛とはなにか」だろう。
それも恋愛の愛ではない愛。
これはとても難しい主題だ。原作者の暁佳奈はライトノベル作家に分類されているが、このテーマは純文学並に重い。
キリスト教は「愛の宗教」といわれるが、なぜか?くらい難しい。

人は「愛する」とか「感謝する」という言葉を簡単に使うが、抽象概念の最たる言葉がほんとうに共通の理解に達しているかというとはなはだ心もとないのではないだろうか。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンでは手紙の代筆屋という仕事から人の様々な愛を切り取る舞台を設定した。

ちなみに代筆屋は日本の戦後、存在した。
敗戦後の日本にアメリカ軍がGHQとして駐留し、戦後の日本の線路をひいて去っていったことは歴史の教科書に出ているからご存知の方も多いだろう。
そういうアメリカ軍の人々と日本国民の間で様々な交流があった。彼らが帰国後、手紙を書きたいと思った人々がいて当然だが、いかんせん英語でなければ通じない。そこで神田や渋谷界隈に代筆屋がいたのである。
その時代に私は生まれていなかったが、その代筆屋が恋文屋に変化していって廃業したことは覚えている。
なにをどう書いていいかわからない、という人々のために代筆屋はかなり長い間、実在した。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンでは最初の数回はヴァイオレットが代筆屋になる過程を描いているが、それ以降は恋愛だけではない、たくさんの愛を描いている。

こんなアプローチはいままで見たことがないように思う。

神回といわれる第十話は亡くなりゆく親の愛を描いたものだった。
そういうテーマ自体が今の日本で語られることがないのではないだろうか。
が、歴然と存在する。多くの親はそういう感情を子供にもつし、同様のことをするだろう。
若者だけでなく、子供を育てた年齢の人間が共感することができるアニメなのだ。

私がもっとも感銘を受けたのは「スペシャル」の中で元軍隊の郵便倉庫に保管された、行き先のない手紙だった。
敵を殺す、殲滅するための兵士である。その兵士と周囲の人々がお互いの愛を伝えるために書いた手紙が大量に残っている。
人間はこんなにも矛盾した悲しい存在なのかと思った。

さまざまな愛に目を向けたこのアニメは、長い人生を生きてきたジジイにとっても素晴らしい作品だと思えた。

映画が公開されていたことは知っていた。
が、キモいジジイが劇場に出かけるのは申し訳ないので、じっとDVDの発売を待ち、先日ようやく劇場版のDVDを買った。ジジイは世間に気を配りながら生きているのだ。

作品の最終回でもあり、映画にふさわしい内容だったと思う。
映画じゃわからないヴァイオレットの手紙の最後の一行がわかるのは、すごい演出だ。

この映画の場所はドイツとスコットランドだと思う。
普遍的であり、全世界の人に見てほしいアニメだ。

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