惨めな「エリート」

By ttakao, 2017年6月26日

豊田真由子がパワハラで騒ぎになっている。

国会議員としては資質がないから、早くヤメレと思うけれども、図らずもうかびあがってきたエリート像。

豊田真由子の経歴は、私立桜蔭中・高(女子御三家)から東大法学部、厚労省入省、ハーバード大大学院修了、衆院議員、文科大臣政務官というところで、凄いと思う人が多いようだ。

しかし、ふたつの見方がある。

ひとつが住田裕子弁護士のコメント。

でも、私から言わせたら超エリートではなくて、準エリートぐらいの人ですね。厚労省に(同期は女性)1人ですけど、本当にそこに入りたかったのか、本当に福祉をやりたかったのか私は疑問です。その後の道のりを見ても、次官コースの超エリートではない。どっかで物足りないものがあったので、政界に転身したのではと、同じ東大だから思うんですけど。

この短いコメントにはいろんな要素が詰め込まれている。
家人に東大の文系卒業者がいるが、彼は「優秀なヤツは国家公務員にはならず、コンサルティング会社などに行く」と証言している。給料安い、責任重い、と東大法学部の学生はすでに公務員を見限っている。
どちらかというといくじなしが国家公務員試験を受けるのだ。なにしろ勉強して試験受けるのは特技(それしか特技がない)だから。

また国家公務員の試験はとおったところで、面接やらなんやらで省庁に振り分けられるからこのコメントどおり、厚労省には「入れられた」が正しいだろう。

そしてすでに次官コースからは外れていた、と。優秀な人間ではなかったことがすけてみえてくる。

正直な麻生さんが「あれ女性ですよ」より重要な次のようなことを言っている。

厚生労働省の関係者の話として「どこかで引き取ってくれないかと思ったら永田町で引き取ってもらったんですよと(言われた)」と語った。

豊田真由子は厚労省でも、ポストがなかったということだ。

住田弁護士のいう「准エリート」は本当なのだと思う。そんなもの。

 

もうひとつの観点。

そもそも「エリート」ってなんだろうか?
「いい大学」「いい企業」というように世の中の優劣がはっきりしている中で、閨閥、学閥などを足がかりに年齢の割に高いポジションにつく人を「エリート」というのだと思う。

しかし現状どうだろうか?
「シャープではエリートです」「東芝ではエリートです」とか「サンヨーではエリートでした」「ダイエーでエリートでした」「介護会社でエリートです」とか「政府管理の東京電力で偉いんです」「倒産したタカタでは偉いんです」とか聞いたら、みんなどう思うんだろうか?

私は「井のなかの蛙」とか「裸の王様」を連想する。
誇れるポジションじゃないのに、誇っている虚しさ。
言い換えるとエリートが存在するためには、強力な組織が前提となる。

今のような変化のめまぐるしい世の中で「エリート」が存在する場所なんてほとんどない。

安定したポジションって確かに国家公務員しかないんじゃないだろうか。
地方公務員は「夕張市のエリート」とか言われてもまったく迫力がない。

おそらくほとんどの人が「エリート」について考えたことがないと思う。

だからアマゾンなどで見かける本のタイトルは「エリートがやっている」なんていうものをよく見かける。

しかしエリートの背後には強力な組織の存在が不可欠だし、そうするとエリートっていう人自体がだんだんわからなくなってくる。

本当はみんなが想像するエリートって、グーグル創業者のラリーペイジ、セルゲイ・ブリンとかFacebook創業者のマーク・ザッカーバーグとかマイクロソフト創業者のビル・ゲイツとかAppleのカリスマだったステイーブ・ジョブズとかじゃないだろうか。

日本でいえば、ファーストリテイリングの柳井さんとか、日本電産の永守さんとか、ソフトバンクの孫正義さんとか。

だんだんわかってきたと思うけど、「強力な組織を作り上げた人」こそエリートではなかろうか?
そこで虎の威を借る狐はエリートじゃないと思う。

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