確率と比率

ふと、新しい道に踏み込むリスクについて思った。

人間は確率を理解できないということは、行動経済学で指摘される。(とはいえ、例題がほとんど期待値の話で無限回の試行がない場合が多いのでクビをひねることも多い。)

それでも、今、原発を続けるってのは確率が理解できていない証拠のように思う。簡単に言えば、起きる可能性は低いとしても起きた時にとてつもなく大きい被害が出るものは期待値は大きい。1000年に一度の津波で起きたから仕方がない、ではない。起きたらこんなことになるから止めましょうが論理的ではないのかな。

大勢の行動にくっついていれば間違いない、という前提の考え方や行動を「常識」という。が、常識は過去の事例からしか見ない。
本心から「みなさんのおこぼれで私はひっそり生きていけることで幸せです」と言い切れる清貧の思想の方は、常識だけで生きていけると思う。

でも、インターネットにしろ、iPhoneにしろ、世の中の変化を利用してなにかしたいという人は常識というあまり賢くない経験値に従ってばかりいるのはマズイだろう。

ふと気づくとウェブの制作会社なんてものが乱立しているが、インターネットが日本で認知されはじめた1998年から数えると14年しか経っていない。

あのころHTMLを見た俺は「タグ言語かぁ。うまいな」と技術上の発展にだけ感心しておわり、取り残されたのであった。それが一大産業になるとは思いもしなかったのであった。

チャンスはいつも転がっている。でも、それは絶対に「非常識」である。ただし、成功確率は小さい。だから、繰り返しトライし成功するまで繰り返すしかないのではないだろうか。

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