雑感(日記)

森永卓郎さんを悼む

あらためて私ごときが、こんなブログで書き綴ったところでどうということもないのですが。。。

でも、やはり森永卓郎さんは確かに尊敬できる人だった。
東大出て専売公社、経企庁と役人生活してからシンクタンクを数社経験されて独立されたようだ。
ただ、彼の視点は常に庶民を向いていたと思う。年収二百万円が普通になると言い始めたのは彼であったが「そんなことはない」と否定しまくっていた人々はどこへ行ったのか。

晩年は日航253便の事件のおかしさと財務省の増税に次ぐ増税をする理由を世間に向かって問いかけた。
彼の話をトンデモ話と思う人もいるだろう。しかし、このふたつの問いかけは選ばれたもので、彼が問いかけている真意は「政府やマスコミの発表が正しいのか?」ということであると思う。
彼ですら「日本はアメリカの属国である」とか「安倍晋三は三権分立を役人の人事権を持つことで壊しかけた」いうことは言い出さなかった。問題を選んでいたのである。

彼の問いかけは正鵠を射ていると言っても過言ではないだろう。時代はジャニーズ問題、フジテレビ問題という犯罪を守るマスコミなんて信用できないということと同期しているのだから。

と、ここまでは森永さんの業績をたたえたつもりである。

ここからは個人的に尊敬していることを書く。ただし60歳以上の人でないとご理解いただけないと思う。若い人は読まないでください。

森永さんは決して男前な外見ではなかったと思う。
しかし森永さんは言うべきことをデータをとおしてきちんと語った文系には珍しい人だった。文系の学問はだいたいグズグズで、とくに社会について書くものは都合のいいデータで論文を書くので、仮説というよりも妄想に近いものが多い。年収二百万円にせよ、資本主義が最終段階にさしかかっていることにせよ、森永さんのおっしゃっていたことはデータをとおしていた。
それを語ることはものすごいエネルギーがいったはずだ。常識と違うことを言うと考えのない人に叩かれるのが日本だ。自分が考え抜いたわけでもない(そんな思考法も知らない)人々が異論を叩くのが日本という学問に敬意のない社会だ。

老年からこそがすごくて、60歳を超えてテレビ番組は干されても著作やラジオで話し続けた晩年の態度は敬服する。
60歳を過ぎて子どもも一本立ちし、会社という組織からはずれるとほとんどの日本人男性はぼーぜんとして自信を喪失する。
定年前まではパリッとスーツを着て、会社で肩書で呼ばれて調子に乗っていたのに、定年過ぎて天下り先がなければひとりの老人にすぎない。
世間は年取った男は臭い、態度が悪い、と思っている。
そうすると「死ぬまでなにか世の中の役に立ちたいと思う」か、「ぼーぜんとしてダラダラ生きる」、もしくは「カネのためにプライドを捨ててどうでもいい仕事をしなくちゃいけなくなる」、のおよそ3とおりしかない。

世の中のためになる仕事をしているつもりでも「俺はなんのために今日、生きているんだろうか?」と思ってしまう。
人間には意識、潜在意識、魂がある。もっとも有無が議論される魂の存在は心を開けば哲学や古い宗教の本に存在が書かれている。(森永さんは信じていなかったようだけれども)
生死というものは意識で選べるものではない。誰も自分が意図して産まれたわけはない。誰も自分がいつ死ぬかはわからない。これらが単なる物質としての生命の誕生と終了と考えるならば、その人の人生は感動もない味気ないものだろう。古い哲学は魂は物質世界を経験するためにこの世に出てきて、目的を達成したらこの世から去ると教える。魂が不滅であることはどの宗教でも言い切っている。あなたが「違う」というのであれば、人類の歴史において過去生きたどの賢者よりもあなたは賢いということになる。よくよく調べ思索してみたほうがいい。

魂は生きる目的を知っていても、自分=意識だと考える意識にとっては人生の目的はわからないものだ。
晩年になると男はとくに悩むはずだ。「よれよれで汚い臭い俺はなんのために今日も生き恥をさらしているのか」
まともな老人は人を騙すようなことはせずに身の回りをきれいにして続く若い人たちの役に立てたらいいな、と考えるはずだ。
生きる目的はわからなくても、ささやかなことでいいから役に立てて死ねればいいな、と。
勘違い野郎はピラミッドみたいな「生きた証」のようなものを作りたがり、若い人に君臨したがるんだけど、人類の歴史を考えてみれば、単にメーワクで死んだら歴史の闇に消えていくだけだ。

年金でウンコ製造機になってだらだら生きている人は若いころからなんにも考えないで場当たりに生きてきた人なのだろうな、と思う。バカにするわけではなくそういう魂なのだと思う。

お金のためにあくせく働かなきゃいけなくなった人は短い人生で楽しい時もあっただろうから、その支払を今やってるんだと思うしかないだろう。
(今日も電車でゴッテゴテにネールして化粧した女子高生を見かけたが、こういう女って中年以降大変だろうな。高校で人生は分かれると思う。)

とはいえ、日々、できるだけのことはしようと思っていてもうまくいかないこと、いたらないことはある。年を取り肉体が衰えるとますます残念な日が増えていく。
そういう日には思う「いつ死ねるんだろう、お迎えは来ないのか?」と。今日は死ぬ日だと決めたら心臓の鼓動が止まればいいのに。

森永さんのように死の前日まで、やるべきだと信じたことをやって死ねることは人間の理想だと思う。

 

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