(すごい長い雑談なので読むことをオススメしません)
年を取ると、最新のテクノロジーについていけないだろうと勝手に推測されて迷惑なものだ。
とくにITの分野は若い人じゃなきゃ覚えられないと思い込んでいるひとが多いですね。
思い込んでいる人自体がプロじゃないか、自分の能力で他人を推測してしまうのかな。
しかし、この分野も技術の積み重ねなので、長年業界で過ごしてきて、少しずつ覚えているほうがラクです。若い人は追いつくために覚えることが多く大変だと思います。
「どんな仕事も3年はやってみろ。石の上にも3年というだろ」ともっともらしいことをいう人は多いですが、もはやそんな悠長なことを言っている時代ではないでしょう。
普通の会社が本気で中期計画をたてても、せいぜい3年。5年などというと本気で作れるはずもありません。
たぶん世の中の人の多くのサラリーマンは自分が勤めている会社は永遠だと思いたいのでしょう。
業績の悪化が伝えられても、なんとなく潰れはしないだろう、と思いたい「正常バイアス」がかかります。
学生は企業に「就職偏差値」というものがあると思っているみたいですね。
ダイエー、そごう、サンヨー、シャープ、東芝などの大企業の浮き沈みを知らないのでしょう。
明日の大企業に勤めるという発想がないところが悲しい。
何度か書いた覚えがありますが、私は大学は経済学部を卒業しました。しかし経済学部でやっていたことは計量経済=統計とプログラミングです。
ですから理系の情報工学の応用部門のような教育を受けました。
たまたま友人の多くが工学部に在籍していて「実験計画法」「構造力学」などの話を聞いて焦ったものでした。
なぜならば文化系には学問のバックボーンがないのです。社会相手の学問なので言ったもの勝ちみたいなところがあります。
経済学も例外ではありません。たしか近代経済学のジョン・メイナード・ケインズが始めたのだと思うのだけれど、高等数学を経済学にもちこみました。
しかし、それはある程度、社会をモデル化しなければならないにもかかわらず、理系のように「モデル化してもその後、現実に向かってみよう」ということがないのです。
ちょっと前に行動経済学がノーベル賞を取りましたが、あたりまえのことで「人間の動きって合理的じゃないよね」という世間では誰もが知っていることを証明しただけです。
それまでの経済学が「人間は完全に合理的行動を取る」ということを前提にしていました。それで自分に都合のよい仮定で理論を作っていたのですから、経済学者から現実を振り返ろうなんていうアプローチは絶対に出なかったのです。
同様に今の経済学でもあいかわらずケインズを信奉している人はたくさんいますが、世の中の経済圏が広がって政府がやることなど発火石にすらならない、という簡単なことを理解せずにいると思います。
そもそも中学校あたりでみんなが習う「需要と供給が交わるところが適正価格」というのも、情報には必ず遅れが生じるために静止点はありえません。振動(定まらない)します。物理学を知っていれば簡単なことなんですけどね。
上記のように経済学がいかにアテにならないかということは知っておいたほうがいいです。
さて私は、大学で経済学部なのに統計処理をするためにプログラムを書き始めプログラマーとしての第一歩を踏み出しました。
その後、日本IBMに入社しました。
この会社ではプログラムを書くことを仕事にする人はほんの少数でした。
ほとんどは営業系で、エンジニアと言えども提案書の数値化ができるとか、プロジェクトマネージができるといった方面の能力を会社は歓迎したのです。
私の仕事が例外的で、メインフレーム(大型汎用機)のオペレーティングシステムのテストだったので「OSを罠にはめる」プログラムを大量に書く必要があったのです。
勉強するネタはいくらでもあり、コンピューターサイエンスの分野まで踏み込んでいきました。
カルノー図なんてものを習ったのもこのころでした。
もちろん私も技術的基礎を積んでから、営業所に移動し営業スキルの取得は頑張りました。
しかし、当時の私はこのように考えていました。
たしかにプログラマーの給料は安い。しかし自分が組織を離れた時に、組織の存在を前提とする仕事、PMだの営業だのスキルで生きていけるだろうか?
プログラミングはコンピューターを操る最強の方法です。
なんだかんだといいながら、CPUを駆動するものはプログラムです。
大事なことは、プログラムはひとりで作ることが可能です。
多くのサラリーマンが考え違いをしていると思います。
たとえばMBAを取ると企業のシニアマネージャーとして雇われるとします。
しかしMBAの教材は自分ひとりで生きていく術も営業も教えてくれません。
言い換えると他人の存在を前提とし、他人に仕事を押し付ける技術だけは教えてくれる。
スキルにはふたとおりあって、ひとりでも役立つスキルと、言うことを聞く他人を前提としたスキルがあるのです。
ちょっと前に書いたけど、今は資本主義が終了しつつある時代です。
異論があると思います。
コンサルティングファームの人間はのんきに資本主義はますますのさばると考えています。
私は今の時代に「右肩あがりの成長をして、株主に高配当を」なんて現実的か?と思っています。
「多様化する社会」と当たり前に言われますが、そこそこの企業で多様性に対応できると思っているのでしょうか?
思い返してください。会社に行きヤル気のあるふりはするけれど、ホントウはどうでもいいし、ダラダラ会議をしたところでなにも決める場所ではない。
いいことは手柄の取り合いをするけれど、悪いことはお互いになすりあい、ほおっかむり。
それでも資本主義は、発展途上国というものがたくさんあって、経済の成長チャンスがあった時代はよかったのです。
ちょうど資本主義が始まって以来、200年くらいは経済で発展途上国を食い物に(成長国と呼ぶ)できた時代だったのではないでしょうか。
ついこの間まで「アジアの時代だ」と言っていましたが、中国は発展し残るはインドくらいです。
もはや地球上で発展しそうなところはありません。
アフリカが残されているという人がいますが、第二次世界大戦後、70年ずっと内輪もめしている国々が果たしてまともな産業国家になりえるのでしょうか?武器で殺し合い他者の財産を奪うことしかできないのではないでしょうか。
余談ですが、ルワンダでツチ族とフツ族が争っている話は、よくニュースになります。
しかしこのふたつの種族は、ナント、植民地にしていたベルギーが、次のように顔つきで決めたのです。
「フツ族は鼻の幅が広く、農民が多い。ツチ族は背が高くてやせ型、牛を育てている人が多い」
ベルギーが決める以前は区別がなかったのに、決められたら真剣に殺し合いをしてしまうのです。笑
日本で東北近辺の目が細くパーツの小さい色白の人と、沖縄あたりの目が大きくパーツの大きい色黒の人で種族をわけられるでしょうか。
こんなに違うのに「日本全国同じ純血日本人」と信じている人のほうが多いですよね。
もうね、アフリカってよくわからない。余談終了。
一方、資本は余っています。
借金の金利はべらぼーに低く、日銀に至っては逆金利なのです。
日銀がいくら市中にカネを注ぎ込んでも投資には回らずすべて預貯金にまわり、銀行がカネを貸すという時代は終焉しつつあります。
銀行はビジネスモデルを変更しなくてはならなくなっています。
ましてや少子化で地方は公共団体も危なければ、産業もなくなり、野原に戻ることは容易に推測できます。
今流行りのクラウドファンディングは従来の資本主義を否定する最たるものでしょう。
じゃぁ、こういう中で私達はなにで生きていけばいいのでしょうか?
それは職人になることだと思っています。
インターネットができてほんの20年ですが、IT技術を利用している企業、個人はとても多いです。
スマホの普及率は目をみはるものがありました。
そうすると情報弱者が出てくるわけで、そういう人たちを利用した産業が大手を振っています。
たとえば、テレビで宣伝しているPCデポなどは、自社でパソコンを購入した人が情報弱者であることを利用して、教えることで徹底的に搾り取る。
たとえば、ウェブデザイン会社なんてウェブの仕組みがわかっている人はほとんどいない。それでもちょっとしたホームページの作成依頼に(会社をやってられるくらい)の料金をふんだくる。
たとえば、我が家にしばしば入ってくる「パソコン領布会」なるチラシは企業が使った型落ちのボロボロのPCを結構な値段で売りつける。
感心した事業ではありません。しかし大事なことはどれも「お客さんの味方」のふりをして、情報の局所性(自分の知っていることを知らない人に売る)で売れていることです。
やっていることはほめられませんが、よいマーケティングです。
「生協スタイル」と呼ぶべきでしょうか。
そういうサービスを提供できる人を職人と私は呼んでいます。
最悪の選択はジェネラリストです。
日本企業はジェネラリストを育てたがります。あちこちの職場に移転させてみたり、あちこちの場所に移転させてみたり。
その企業が何十年も素晴らしいビジネスモデルをもち、繁栄を続けられるならば、その波に乗ればいいでしょう。
しかし、その企業のビジネスモデルが怪しくなってきたら、どうやって辞めるか、なにを学んでから去るかを考えねばなりません。
しばしば転職する時に、自分の処遇とポジションのみを気にして転職先を決める人がいますが間違ってます。
会社が儲かっているかどうかは極めて重要です。
人手不足の時に新たに人を手当できるか、派遣でもいいから入れる余裕があるか、
すべて利益を生み出せる会社ができることで、貧乏な会社は従業員に仕事を押し付けるしかありません。
転職する会社が儲かっている会社か、調べることは極めて重要です。
私がIBMを辞めた理由はいくつかあります。
- 当時のCEOガースナーがメーカーからコンサルティング会社にしょうとしていたこと。
- SI(システムインテグレーション)を何度か経験して、ERPの素晴らしさに気づいたこと。
- 会社自身はメインフレームの余韻に浸っていて、オープン系システムについて否定的に見ていたこと。
- どう考えても将来、IBMは儲からない(=給料はあがらない)と思ったこと。
大企業は歴史の中でさまざまな人、組織が完備されているからモノゴトが自動的に進むように見えるのです。
よく見ないと危機に気づかないかもしれません。
そして辞めて現場の仕事をしはじめると、苦労することもあります。
ですから転職は若いうちがいいのです。
だから大企業出身の人が「独立を考えています」というのを聞くと、心の中で苦笑せざるを得ないのです。
なにもないところで成果をだせるのか?もう一度、自分の胸に聞いてみるべきです。
いままで自分は仕事のおいしいとこどりをしていたのではないか考えるべきです。
(残念ですが、とくに大企業に勤めている女性は考えが甘い人が多いように感じます)
もっともリクルートとかアクセンチュアとか独立前提の企業もあるのでいちがいには言えません。
さて、このような大企業から転職するキャリアパスを考察すると、一部の人は「俺、私は資格をもっているから大丈夫」と考えます。
その資格が、医師、弁護士(すでに余っていて大変らしいが)なら、そうかもしれません。
しかし、司法書士、行政書士、公認会計士、税理士、宅建といったポピュラーな資格なら考えたほうがいいです。
競合が多すぎます。そして、
資格で食べていくためには経験がいる。
ことを理解していない人があまりにも多いのです。
資格とは若い人にとっては知識を証明するものになりますが、年配になるとプラス経験がないと評価されません。
逆にいえば、特別な経験さえあれば商売になります。
たとえば、司法書士でも民事裁判専門とかならば、お客に困らないと思います。(その代わり相当なキレ者じゃないと騙される)
世の中のほとんどの人が「人と同じことをやっていて食べられる」とサラリーマン時代の考えから抜け出せないのですが、サラリーマンを脱出するのであれば
希少価値
を常に考えるべきなのです。
できるだけ買ってくれる可能性のあるお客はたくさんいたほうがいい、という百貨店方式はとうに廃れました。
今、成功している、一人、数人の会社でユニークネスを持たない会社はないと思います。
少数の特定のお客を相手にする時代なのです。
月並みなことをやっていてもお客は来ません。人と同じ資格をもっていてもお客は来ません。
なぜならば、それなら大手を頼ったほうがいいから。
先日も我が家に整体のチラシが入っていました。
ウリは「通常1万円のところを500円でやります」
こんなチラシは相手にされないでしょう。
一万円の価値がある整体なんて、そうそうない。そうとうに希少です。
最初からお客さんを騙そうとしているとみなされるわけです。
この整体師も「一度来てもらえば、お客がそこそこ残る」と思っているのでしょう。
近いうちに1000円のマッサージ屋さんになる日を楽しみにしています。