効く「祈り方」

心と体

1日にいつものように隣の駅の中山法華経寺にでかけました。

こういう時なのでひとりです。

いろんな御札が掃除して出てきたのを廃棄(お焚き上げという)するためにレジ袋に入れて持っていきました。

例年どおり新年三が日にしか領布していない御札を入手し、あとはいくつかのお堂を参拝。

ところが、八大龍王のお堂の前で足が止まってしまった。

前に小柄の頭はボサボサの若者がお賽銭を入れて鈴をならしました。

すぐ済むだろうと思っていたら、彼の祈りはおわりません。

背負ったリュックのストラップと本体は手荒く縫ってあり、安物のくたびれたスニーカーを履いています。

どう見ても人生がうまくいっているようには見えません。

だからこそ、彼も一心に祈っているのでしょう。

ついに他の人が私の後ろに来ました。

仕方ないので彼の左に立ち、お賽銭を入れ鈴をならし、祈って出ました。

すがすがしい気持ちです。

なにを願ったかは、この文章の残りを読んでいただければわかります。

 

そもそも、みなさんは祈る時になにを神に話しているのでしょうか?

きっと「願い事」なんだろうな、と思います。

宗教に関心のない人が祈る時、それは願い事以外考えつかないのかもしれません。

神社仏閣側も絵馬や祈祷で「商売繁盛」「家内安全」などの願い事ばかりを並べています。

だから自分の欲望を神様に、達成できるように助けろと祈ることが正しい祈願かのように思われていることでしょう。

私の知るところではそれは正しいと言えないのです。

 

自分さえよければいい、自分にあれをくれ、これをくれ、という願いはよしたほうがいいです。

それってお賽銭で神のサービスを買う形になってる、って思い至っていますか?

神様ってお賽銭をもらわないといけないほど、貧乏でしたっけ?

たしかに人は幸福になる権利があります。

しかし「自分だけいい思いをしたい」という考えはよしたほうがいいと思います。

みなさんが大好きな会社勤めにおいて、会社とは社会に居場所(一定のお客)があるから成立しているのです。
一言でいえばどんな会社も社会と共に生きている。
ダメ社長は「金さえ儲かればええんやぁ」というかもしれませんが、それは勘違いです。
金儲けをとおして、世の中に貢献しているから会社は存続しつづけられます。

個人も同様です。

人は生きている中でなにかの流れにのっています。

その流れがよくなることを人生の目標にしませんか?

すると、自分と関係している人もうまくいってほしいと思えます。

人は自分と関係している人をふくめることで、自分のサイズが変わります。

家族と外にでかけた時、普段はよく喧嘩している兄弟姉妹も自分の一部となります。

愛する人ができた時、自分より大事だと思うほど自分の一部です。

会社のことを外部の誰かに説明する時「ウチの会社」という言葉を使いませんか?

「自分」は状況により変わります。

その感覚で周囲の人の幸せを祈るのが正しい祈りなのです。

ここで書いていることは、私独自の説ではありません。

根拠があります。

まったく知られていませんが、パワーオブエイトという本があります。

この本は著者が「祈りの力」を調査した結果を記しています。

当初は癌患者の治癒を祈ると効果があるか?などに焦点があたっていました。

しかし祈る人自身にいろいろとプラスになる効果が出ることが発見されたのです。

つまり他人のために祈っていると、対象の人にプラスの影響が出ると共に、祈っている人にもプラスの効果がでることがわかっているのです。

だからといって自分でも信じていないようなエセ博愛主義で祈ることは自分に嘘をついています。

自分と同じ流れにのっている周囲の人の幸せを祈ることは、自分も周囲の人もよい方向に導く祈り方です。

祈りの作法などより、なにを祈るかという最重要項目をしっかり考えてみましょう。

これでさっぱり効果の現れない祈りが効果の現れる祈りに変わります。

 

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