久しぶりの起業ネタ。
雑誌のSPAに
10年後では遅い! 今すぐ“複業”でW収入を目指すべきワケというのが出ていた。
続々大企業や役所で副業が解禁されている流れを「妻子を養う責任がない自由に動ける若手社員だけの話」と解釈する愚か者がいるらしい。
年功序列は完全に崩壊していて、遅くて55歳で「役職定年」というタイトルで肩書を奪われ、給料を下げられる現状なのに、その年になって屈辱を味わうまでぼーっとしているおっさんが多いということのようだ。
無能な人間は「こうなるよ」という予定、予測があっても実際に自分の身の上に起きるまで理解せず、起きてから騒ぐ。
泥縄の人生。
しかし、勘違いでもいいから「俺は仕事をやれる」と思うなら、事業を小さく始めればいいじゃないか。それを最近はリーンスタートアップというきれいな言葉で語れるのだから。
今、俺が勤めている会社にも、自分が知っているえらい人間や他人のすごい経験を話して自分を飾ろうとするみっともない男がいる。
そんなことしてその場限りの見栄をはっても会社を去ってからの自分の備えにはならない。
このSPAの記事が大事なことを書いていて「単発で稼ぐ「副業」でなく長く続けられる「複業」をやれ」とある。
そのとおりでそうじゃなければ、いつまでも今勤めている会社に頼らなきゃいけない。
私もビジネスはいろんな失敗をし、友人すら失った。
その結果、私の場合は他人を一切アテにせず自分ですべてを行う道を選ばざるを得なかった。
しかし、友人と協力してビジネスをできることもあると思う。
持って生まれたその人の運勢による。
宝くじじゃないけれども、ビジネスは当たるまで引き続けるしかないし、宝くじよりビジネスは当たる確率は高いのだから。
会社側は副業を認める理由として「従業員が新たな知見を獲得したり、これまでになかった人脈を形成することで従業員のモチベーションの向上や能力・知見の幅を広げることになるだろう」と綺麗事をいう。
これは嘘であることに気づいてほしい。なぜならばたいていの副業の条件に「本業と競合するな」という条項があるはずだ。
ならば今の業務の強化にならないことが多いであろうことは言うまでもない。
ホンネは「賃金をまだまだどんどん下げるから、生活できるかどうかはあなたが自分で考えてね」だろう。
それでも副業を認める会社は立派だと思う。ロクに食えるだけの給料も払えないのに「みんなで我慢しろ」のほうがよほどおかしい。
常々言っているが、儲かっている会社は事務職でも年収500万円超えるし、儲かっていない会社は部長でも年収500万円程度だったりする。
どこで働くかはものすごく重要だし、会社はしょせん他人のものだからアカの他人の自分が感情移入しても報われることはない。
おっさんになった人ほど別のビジネスを真剣に考え、将来、それで食べていけるようにするべきである。
そういう人は世の中が見えすぎていて他人の会社を渡り歩く転職なんて馬鹿らしいと思うのではなかろうか。
先日、いわゆるコンサルティングファームで結構なポジションの女性に会った。
間違いなく優秀な人である。そして彼女は肩書にふさわしい仕事である予算(ノルマ)達成のために頑張っておられる。
でもさ、そのノルマ達成って他人のためだよね、と私は思ってしまう。この人がすぐれた能力を自分のために使う時はいつなのだろう。コンサルティング会社ってこんな人ばっかり。
私からすると洗脳されているように見える。
いつかは自分のために使おうとするならば、そういう知見を得られるように仕事を見つけて経験しなきゃと思う。
雇われ人で一生を過ごしたいなら肩書ばかりを気にするようになるだろう。それも生き方。
どちらが自分らしいかは、もちろんそれぞれの人が決めることだけど。