雑感(日記)

頭の悪い教条主義

京都・舞鶴市内での大相撲巡業で土俵上で「女人禁制」は本当に伝統なのかが議論されている。

が、「伝統だから」というならばその伝統を年代と共に説明できねばなるまい。
女性が土俵にあがることは伝統的に珍しくなかったとつっこまれまくっているではないか。

相撲の土俵は神が下りるならば、神道の最高神は天照大神という女神だ。

にもかかわらず、なぜ塩を土俵に撒き散らすのか、本当に理解に苦しむ。
相撲協会の行司がやったらしいが、普段の不勉強にも程があるだろう。
そもそもちんこがついていることが、そんなにエライのか?

ましてや神道は明治時代ができた時の国家神道で復活してわけで、それ以前は天皇家も神道なんてほとんど関係なかった。歴史をちょっと調べればばかるが、そのちょっとをやらない。

理由を考えることなく、「常識だから」とか「作法で決まっている」という言い訳しかできない人間はそういう言葉で自らの不勉強、思考力のなさをごまかしているといえよう。

よくいるビジネスマナーとか作法の先生があまり賢く見えず、小笠原流の宗家の指導が賢く見えるのは、合理的な説明ができるかできないか、だと思う。

日本人が大好きな「◯◯道」でも守破離という言葉があるとおり、基礎は守れどそれだけでは先人をこえられないから、わかって破り、最後には離れて別のものを作り出すことが尊ばれているわけで、教条主義から新しいものはなにも生まれない。

教条主義は考えることがきらい、もしくは能力がない人の間でよく起きる。

「ユニクロ潜入一年」という本の中で昇進試験に柳井氏の言葉を丸暗記しろというような話がでてくる。
おそらく柳井氏が知ったら激怒すると思う。なぜならば考えることを放棄させているからだ。そこからはなにも生まれない。

言われたとおり、教条のとおりやっていれば責任を問われずに済むという卑怯な考え方が見えてくるだけだ。

同じことはネットでの他人の批判でもいえる。とても気になる。
批判されている側にそれなりの理由があることがあとからわかると、批判していた連中の言い訳が「そんなこと今まで書いていなかった」「後出しじゃんけん」と罵る。
書いてあることしか知らず、事情が全部わかっていないなら最初から批判なんぞするべきではないと思うし、そこまで必死になることはどうなんだろ?

すべての事実を羅列すると普通の人には理解できないから限定的に関係ありそうな要素を取り出した「物語」が書かれる。
しかしその物語はある人の立場から見た因果関係であって、別の見方も必ずできる。

パワハラ受けてます、という人間について周囲の意見を集めたら、仕事しない、サボる、文句ばかり言う、嘘をつく、という実態が浮かび上がることなんてごく普通にある。実態は義務を果たさず怒られているのだ。

複雑な事象の羅列が世の中であって、書いてあることだけがすべてだと思い込むこと、教条主義というのはいかにも思考の幅がせまい。

ひいては教条主義は他人の考えのとおりに生きるということであって、他人に利用される人生である。
決して幸福にならない。自分の人生の決断を放り出す人には厳しいしっぺ返しが待っているのが人生だ。

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