今日はこのまま放置したら、次元の違う管理社会が数年以内に到来するであろうという事実ベースの予測を書く。
あらためて言うまでもなく、ジョージ・オーウェルの書いた小説「1984年」では完璧な管理社会が描かれたが、小説だった。
2016年以降、このままだと日本は完璧な管理社会に突入すると思われる。
いくつかの事実をあげる。
オムロンはJR東日本の旅客乗降ビデオを勝手に流用して、ビデオカメラの開発をしていた。
記事によれば一分間に30人くらい特定できる。
大人は無意味な研究はしない。
オムロンはこれが売れると考えているから研究している。
IIJを中心として、ビッグデータを参加企業で共同で使う、とある。
データが購買動向だけとは限らない。防犯カメラに写った顧客データも断りなく共用されるだろう。
そして、購買者は明確なIDをもつだろう。
公的サービスを利用するためのもので、そこで議論が止まっていることが不思議でならない。
現在、銀行口座、クレジットカードやレンタルビデオ屋の会員証を作る時に運転免許証のコピーを取られることは、ごく普通に行われている。
流通業者は自社カードにスズメの涙くらいの特典をつけ、マイナンバーを提出させ、カードにひもづけるだろう。
この3つを総合すれば、完璧に私やあなたがなにを買ったか、どこに行ってなにをしたか、どこで稼いでいるか、完全に管理できる。
現在、それぞれのサービスを考えたり、作ったりしている人々は「まさか、そんなことしませんよ」と言うだろう。
今でも「まさか」なお化けがいる。
「防犯カメラ」が町内会や商店会の善意のつもりであらゆる場所に仕掛けられている。
道路をまたいで配線をしている以上、商店街やNTTの許可を得ているのだろう。個々の人々は「防犯」のためにいいことをしているつもりだ。
しかし、いまやあらゆる場所に「防犯カメラ」、道路には警察の「Nシステム」
現実のところ、カメラに記録されずに出かけて帰ることは、不可能だろう。
実際、犯罪が起きるとすぐに「防犯カメラ」の録画が放送されている。まったくの制限を受けずに、報道機関の記者が「すいませんけど」程度の要望でいくらでもデータは提出されているのだろう。
このように「たいしたことないつもり」の積み重ねでデータが集まることも「ビッグデータ」だ。
今はその人が買い物をしても、誰なのかわからない。
それが「ビッグデータ」でレジのデータと繋がった時、プライバシーはあとかたもなく吹っ飛ぶ。
あと二年で、個人情報保護法はザル法となると思われる。
この法律が成立した時から私は「おかしい」と思っていた。
なぜならば個人情報が「データベース」になっていなければ、この法律の規制は受けない。
乱雑にデータのまま置いてあって、「検索」したらどうなる?
どれほど広義のデータベース定義であっても、データを置いてあるだけではデータベースと呼べない。
ベネッセの顧客情報が流出なんてことでは大騒ぎするが、こういう大規模な危険については誰も騒がない。
国なのか、大手流通業者なのかわからないが、危険な臭いがプンプンする。