Googleがやることすべてが正解ではとうていないのだが、とりあえず大企業のやることは、褒めておけば間違いがない、というのがプロのコメンテータがやることだ。
コメントで飯を食っていない俺は、過去のハードウェアの経験をまじえて考えてみたい。
モバイルコンピュータってものを考えると、未だに正解があるわけではない。
シャープが初めてだしたポケットコンピュータ以来、どんだけのハードウェアを買い続けただろうか。
結局、最低限、手のひらくらいのディスプレイ、十分なデータ保持量とインターネットに適宜に繋がる、という機能が達成されるまで、一般人が手にとることはなく、デジタルガジェットオタクのオモチャに過ぎなかった。
一般化されたひとつの形である、スマートフォンにおいても、「こんな多機能は必要ない」という素人の声がしている。
ウェアラブルコンピュータは、これから長い熟成期間が必要であることは容易にわかる。
いくつか考えてみよう。
- パワー
外に出ている限り使い続けるのだから、2日から7日は稼働し続けてほしい。 - ネット
今程度では問題外だろう。地下鉄だろうが、地下道だろうが、繋がらないとデータを持ってこれない - センサー
他人の顔。道路。などなどカメラで撮ったものが即座に解釈されないと、データを付加できない
こう考えてみたら、Google Glassはほんのスタートであり、とてもじゃないが実用に至るには相当な年月が必要だ。そのころに、まだAppleがあるのか,それともまったく新しい会社が作っているのか、まったくわからない。
ビジネス界では「いつかは」という言葉はタワゴトである。「いつ」がわからない話に価値はない。
なぜならば、投資もできなければ、リターンもわからないからだ。
私が元カリスマディーラーの藤巻健史氏が「いつかインフレになる」というご意見にまったく価値がないと思うのは、いつなのかがわからない情報には価値がないと思うからだ。
いつなのかわからないなら、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」(ブレードランナーの原作)のようなSFのほうが、価値があると思う。
つまり、ウェアラブルコンピュータは、今、ビジネス界で語ることではないというのが俺の見解だ。