先日、会社の中国人(通常、上海在住)とランチする機会があった。
日本語をよどみなく話す。
もちろん、英語も話す。
彼は中国語、英語、日本語とITの知識で仕事をしている。
が、彼は「中国の北部の吉林なんかのあたりだと、中国語、英語、韓国語、日本語を学校で習い、ドイツ語も習う人がいるので、5ヶ国語を話す人が多い」という。
中国のIT関係の人は、ほとんどは英語は理解できるので、やり取りを英語でやってもいいのだけれど、エンドユーザーが中国語だけを理解する、ということが多いので中国語で仕事をする、と。
日本を除くほとんどの国で英語って国際語となっている。
日本では英語に対してまだまだ模索が続く。
どっかの日本の会社みたいに社内会話を英語ってのは間違っていると思う。
そもそも、CEOの英語がひどい。MBAを取得するのはさぞ辛かったろうと察する。もっともアメリカの大学に行ってMBAを取ったと威張る連中で成績について話すのは大前研一くらいのものだ。つまりたいしてできはしない。
もともと母国じゃない言語で考えて作業すると、効率は大幅に下がる。俺は英語があんまりできないから、英語で会話して、モノを書いている時は1/3から1/4くらいの効率だと思う。
中国では常識のITの現場で「英語必須」とか「英語常識」なんて聞いたことない。新しい技術を知るには英文じゃないとムリだろ、とは思う。
もっともかねてから書いているように、ITの現場にまともなお金を払う職場は非常に限られているので、そんな値上がりしそうなスペックは要求しないし、人事は理解していないということだろう。
繰り返し書いておくが、日本は徐々にどうでもいい国になりつつある。そのため、世界のソフトウェアは日本語に翻訳されないものが年々増えている。たった今でもAmazonのCloudを利用しようとすると、説明はほとんどが英語。日本のエンドユーザーは「けしからん」と怒るだろうが、アメリカからすれば儲からんものにカネかけないのは当たり前。
だから、日本のベンダーが主張する「プライベートクラウド」なんていうアヤシゲなものに飛びつき、さらにサーバーを買う。
日本人が英語に関して、ほぼ総コケする元凶の受験産業は相変わらず盛んである。ハッと気づいたことがあり、日本はアメリカの大学のように授業で落としていくってことは出来ないのだと理解した。なぜならば、そういうことをすると、受験産業が必要なくなる。
ひいては、紙と鉛筆で日本特有の受験英語ってものがなくなると多くの人が困る。だから、小学生の段階から英語に対するコンプレックスを日本国民に植え込み続ける。
結果、英会話スクールと六本木でナンパされる英語コンプレックスの少女は当分、消えないのだろう。
英語を「道具として使う」人は、なかなか増えないのが日本社会。ものすごーく損をしていると思う。