料理とお酒

おいしいもの(1)

技術を理解するには、料理なんてわかりやすいと思う。でも、料理の技術の覚え方で評価も変わると思う。私のプロとして料理をした最初の経験を書いてみたい。文字にするのは初めてな気がする。

もう30年前の大阪キタ。
大学生時代のバイトでライター屋さんの店番を見つけた。

近松門左衛門の名作、曽根崎心中で有名なお初天神の参道から発展したお初天神商店街という通りが大阪のキタにある。飲み屋、お好み焼き屋、うどん屋、ゲームセンター、ピンサロ、アルサロ、絨毯パブ、クラブなど今では意味不明となってしまった店が並ぶ歓楽街だった。
ライター屋はその中にちんまりとあった。ニ階はモノオキ。

昭和の当時はインターネットもなく、輸入品を扱う貿易商はメチャクチャに儲かっていたのだった。ライターも例外ではなく、ブランドモノは多数あり煙草を吸う人は多かったので、それなりの商売になったのだ。
メカ的にもおもしろく、バイト代でライターをいくつも買った。イムコのオイルライターという軍用ライターがある。発火石を回転砥石で発火させるというメカを最初に作り出したモデルである。今でも売られているが安くて壊れにくく、学校でも売れた。

夜になると賑わう通りは、夕方にはクラブのママがお客へのプレゼント用にひとつ900円くらいのライターを20個くらい仕入れてくれたり、お姉ちゃんにダンヒルのライターをプレゼントする酔っぱらいのオヤジなどで店は繁盛していた。

そうこうしていると、ライター屋の社長が大阪のOS劇場横の阪急東通り商店街の中のスタンドくらいの食べ物屋の権利を買った。この会社は社員が4人のチョー零細企業で、社長、ライター屋店長、50歳過ぎのちょっと頭のよくないおじさんと別の仕事している人。

社長も社員も、もちろん飲食店はやったことはなかった。今になって思えば、ちょっと頭のよくないおじさんは年齢的に現業をやる感じじゃなかったので、脅すくらいの勢いで職種を変えさせたのだろう、店長になった。

俺はといえば、社長に「たこ焼き屋やってみる?」と聞かれ、二つ返事で「やります」と元気よく答えたものだった。
素人っぽいアプローチだが、王道でもあり、最初は美味しいたこ焼きとは?ということで大阪の有名なたこ焼きはほとんど会社持ちで食べさせて貰った。

いろんなことを知った。たこ焼きに限って披露すると、たこ焼きは実はダシが勝負であること。貝、カツオ、など魚介系が好まれる。タコは大きければいいというものではないこと。後述するがたこ焼きは素早く作るものだけに火のとおりが悪くなるのである。タコが大きいことを誇る店は素人だと知った。

材料で驚いたのは、天かすにいくつもグレードがあること。もっとも高級なグレードはイカなどの具材が混ざっており黄色い。当時はそのまま袋詰めして駄菓子屋で売られていたくらいうまい。安くなるほど小麦粉だけなので白いのである。こういう天かすが一斗缶に入って入手できるのだ。

材料の投入にも順番がある。最初は天かすが鉄則。次にタコ。他の順番はどうでもいいが、こうしないとたこ焼きの真ん中にタコがこない。知ってた?

たこ焼き器は、鉄製と銅製がある。鉄は熱が穏やかに伝わるので素人に向いている。もしくは大粒のたこ焼きの場合は中まで火がとおるのに時間がかかるため、じんわり鉄製のほうがよい。
プロは銅製を使う。銅は熱の周りが大変早い。そのため、外側はパリッと、中身はトロリという状態を作り出しやすいのである。

が、職人技が要求されるのもまた、銅板である。たこ焼きは実は作る時にあまりコロコロ回さない。理想は1/3回転ずつ、3回で作ることである。それくらいの手数で素早く作り、中まで火がとおってはならない。できあがったら、鉄製の板のほうに移す。
千枚通しでたこ焼きをつつきまわしている人はお店で修行したことはないといえる。

一方で、マクドナルドで夜間の掃除のバイトもしていた俺は、たこ焼きを作ることもさりながら、店を清潔に保つことにはずいぶん貢献した。たこ焼き屋はタコという、なまものと粉を扱うのでかなりきっちり掃除しないと、たちまち粉は固まり、汚れていくのだ。いくら商品は火をとおすから安全といったって店が臭いのでは、お客は来ない。

たこ焼き自体は、最初は人気店の技術指導を買う話で進んでいたが、相手の職人がえげつないカネを要求してきたため決裂。しばらく悩んだ社長はソースなしのたこ焼き自体に味付けをしてしまうというアイデアで勝負に出たのだった。

確かにお店は酔っぱらいが多い通りだったため、液体のソースはひっくり返される可能性は高かった。ほとんどの人が食べながら歩くため、たこ焼きの箱はマクドナルドの袋などと同じように、あちこちに散乱していた。

ただ、たこ焼きはソースがかかっているものというのが今でも常識であるため、嫌う人も多かった。

ソースなしのたこ焼きの味付けは、そんなに難しいものではなく、醤油、鰹節粉末、昆布粉(昆布茶の塩なしは食材屋に売られている)、ハイミー、いの一番であった。ベースは小麦粉、卵、ミルク。

お店とは不思議なもので、ずっとそこにあってやっていると、だんだんお客が増える。私が離れるころには、月商400万円くらい売っていた。
それはバイトとしてもうれしくて、正月の元日から働いていた。

話は変わるけど、このたこ焼き屋の通り向かいが、露天で時計やアクセサリーを売っているおじさんだった。もう壊れて捨てたが、セイコーのダイバーウォッチを買ったりした。なぜか彼は東京に引っ越す決心をし、荷造りのバイトをやらせてくれた。奥さんは中国人で、当時はまだうぶな私が緊張してしまうくらいの美人で抜群のプロポーションの人だった。あのご夫婦は今頃、どこでなにをされているのだろうか。

(2)に続く

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