雑感(日記)

なぜ、親を信じるのだろう?

残念ながら、大阪の西区でホスト遊びをしたいたがめに、子供二人を餓死させた親がいる。
簡単に結論づけるべきではないが、彼女もラクビー監督で有名な父親にネグレクトされていたようだ。名古屋近辺でラクビー監督をやっている父親に、そんな資格があるのか、問いたい。

私はこういう負の連鎖は団塊の世代以降続いており、3代続けば常識になっていると思う。たとえ、それが世間で非常識であっても。ひょっとしたら、ラクビー監督も親からネグレクトされていたのかも知れない。

今日はたまたま、大阪市西淀区の松本聖香ちゃんを殴り殺した小林康浩被告に懲役12年の判決が出た日でもある。(裁判員制度)

こういう大人が「しつけのため」というデタラメな言い訳を超えるためには、怪しい親のいうことは一切信用しないというアメリカ的なアプローチが必須なのではないか?日本はそういうところが甘い。せっかく強制的に調査する権限があるのに、なにに遠慮しているのか?何ごともなければ「よかったね」で終わりだろう。警察の職務質問と同じではないのだろうか?

私も子供の親だ。でも、自分の判断が100%正しいという自信はない。なぜならば、人間は主観の動物に過ぎないから。
アメリカでは子供にちょっとでも暴力がありそうだと警察が介入する。私は兆候を無視して死ぬ子供がいるのならば、すぐに客観的調査をするアメリカの判断を支持したい。たとえ、親がしつけだと思っていても、世間的(客観的)には虐待の可能性は常にあるだろう。

特に今の日本では、もともと子供を育てる余裕がない人達が子供ができてしまって持て余しているのは、よくわかる。
ならば、公的なメカニズムで救うしかないのではないだろうか?

松本聖香ちゃんの死んだ周囲に並んでいるお供え物を見て、備えている近所の人にやりきれない思いを感じ、怒りを新たにするのは私だけだろうか?

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