iPadの登場以来、予想どおりの反応を発見した。曰く、「電子ペーパーで一冊本を読み通せるか?」「一覧性が悪い」などなど。
もうみなさん都合良く忘れているが、パソコン(当時の名称、マイコン)が出始めたころ、いろんな話があった。紙と鉛筆からしか創造性は生まれない、とか、パソコンは清書するためのものだ、とか。
今どき、そんなこと考えて使ってる人間はデジタルデバイドな人くらいだ。なぜ、みんなそんなことをいわなくなったのか。実際のところ、いうほどの創造性がなかったんじゃないだろうか。パソコンやポメラでメモすることと紙に書き付けることとで、それほど大きな差はなかったのだと思う。単に新しいものに慣れていないから、いろいろ言ってみただけではないだろうか。
よくあるのだ。長年の勘とか経験とかいうが、データを取って数式化したらたいしたことなかったってことが。典型的なのがTQC。データを取って統計にあてはめてみたら、いかに人間の勘がアテにならなかったか、という話だ。
電子ペーパーは既存の本にはできないことがたくさんある。一節をウロ覚えでも検索していたら見つかる。今後は一覧性のいい要約から文章へ移動する方法が考えだされるだろう。(日本語の要約の研究は、とっても遅れてるけど。。。)
パラダイムが変わった道具を既存の道具をベースに議論するのは、頭の固い年寄りだと思う。まるで、パソコンを前に「ウォーターマンの万年筆のよさがわからんか。」と怒鳴っているかのようだ。KindleやiPadのガジェットとしての美しさはたいしたものだと思うけどね。