料理とお酒

池波正太郎の亡霊

料理の味って世の中の人はどうなんだろう?と不思議に思う。他人の舌を借りてこれないだけに、他人がどう料理を味わってるかはわからない。と、不可知論を唱えても仕方ないので、自分の思うことを書く。

グルメ雑誌の大半の「おいしい」は作り出されたものだ、ということは知っていてほしい。そもそも名も知れなかった店が、どうして急に雑誌に取り上げられるんですか?あなた、近所の飲食店がオープンして雑誌に即、出た例をどれくらい知ってますか?そう、広告の一環です。それゆえ、あきらかに不味い料理も「おいしい」と紹介される。ちょっと変わった料理の大半はそこの自称シェフが考えたものじゃなく、フードコーディネータが提供したネタのことがほとんど。広告効果を強めるため、ブームを作り出す。
今年の冬、「おいしい」とされてるカレー鍋なんかがいい例です。いっせいに各社から出てくる。おかしいと思えよ。そこに出かけて「おいしい」ってねぇ。本当に本人がおいしいと感じたのならいいのですが。。。2回ほどやってみたけど「俺はカレーは好きだけど、鍋はおいしくないよ。」

グルメで有名だった故池波正太郎の本を読んで、江戸の老舗に出かける人は後を絶たない。文章から浮かびあがる情景はたしかに「おいしそう」。でも、その料理を現代人がおいしいと感じるかというと、ものすごく疑問。モノのそんなに豊かじゃない時代に育った彼の「おいしい」は、濃い醤油味と砂糖。彼の推奨する、そばや、てんぷらやに行ってみればわかる。

しばしば、「関東は醤油味がきつく、関西は薄味」といわれているが、旨み成分の量から見たほうが確かなことがわかる。旨みの元は味の素でわかっているように、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などから成る。これらをだしから抽出するか、醤油で補うか、の違いが関東、関西風の違いといえる。もののない時代に手っ取りはやいのは味噌、醤油だった。関東の料理屋は多くが東北出身者が始めたという。彼らの手法が醤油による味付けだったのだ。関西はものが豊かだったために、だし文化が広まったという違いであり、旨みと塩分を峻別しないと料理の味付けの議論は意味がない。(ちなみに、旨みは国際語umamiである。これだけでも、日本できちんと食事してる人の味覚がすぐれているかわかる)
さて現代は、これだけ旨み成分にことかかない。昔のしょっぱ味つけはいかにも古い。

現代日本人の味覚の進歩は他でも見られる。たとえば、昔ながらのカレールー(グリコとか)を食べてみてほしい。いまどき、食べられないくらいのひどさである。それでも当時は「おいしい」ものだったのは間違いない。日本人の味覚、「おいしい」ことへの感受性は本物を知ることで、実はものすごく進歩している。私の知る限り、普段、家庭でこれだけ多彩な料理を食べている国はないと思う。「ここのところ、肉が続いたから、魚を食べよう」なんて発想は日本だけじゃないだろうか。

豊かな食事をしている一般人の味覚はすごく発達してると思う。逆にテレビ番組で芸能人が「おいしい」というのは、ホントにあてにならないと思う。普段、冷え切ったロケ弁当しか食べていない人種は、なにを食べてもおいしいか、むつかしい味は理解不能だろう。当然、宣伝の一環でおいしいといえといわれてることもあるだろう。どう考えてもアテになる情報じゃない。実際、銀座で「おいしい親子丼」に行ったら、番組とは大きくかけ離れたものが出てきた。それでがっかりしない自分がおり、テレビで紹介されるものってほとんどアテにしていない。

ラーメン一風堂の店主が、なにかでいっていた。「同じ味にお客さんは思っても、時と共に変えなければならない」というのが「おいしい」ものの真相ではないだろうか。(一風堂全店がそうとも思えんが、リーダーがそういっていることはすごい)
老舗がよくいう「味を守り続けてる」というのは、実はものすごく危険な言葉だと思う。漫然と同じレシピを繰り返しているのは、守っていることにならないということだ。

自分の味覚を信じて、池波正太郎マジックを見直してほしいと思う。

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