雑感(日記)

人生で起きる課題

今日はちょっとした考え方について書いてみようと思います。

家人達は変化の年のようです。

家内は今まで勤めていた病院をついに変わる時がきました。
とてもいい加減な病院、かつ、拘束時間が10時から20時までというとんでもない長時間のため、家族もかなり協力をする必要がありました。
しかし、そういういい加減な病院がいつまでも続くわけはないのです。
ついに閉鎖することになりましたが、ちょうど別の病院が来ないかと言ってくれ、そちらに移れることになったようです。

息子は大きくはないけど誰もが知っている会社に研究職で入社が決まり、しばらくは自宅から通うようです。
社会人になり新しい環境で新しい人々と知り合うわけです。

このように人生は毎日同じようなことをしている期間がとても長いように思いますが、なにかの変化が起こり、そこから生活がかわります。
数年同じことをしていて変化がないと思っていても、人生に変化をもたらす要素は着実に見えないところで変化しているのです。

変化する方向は以前の自分より進化する道だと思っています。

時々、一見、意に染まない方向にいくことがあり「人生を転落した」などという人がいます。

私は自分の経験からそういう発想をすること自体が、転落を招いているに過ぎないと思います。
私自身の経験ですが、オーナー会社のオーナーに引っ張られた人についていったのですが、その人が失脚し私がリストラされたことがありました。
子会社の社長はこういいました。「ウチの会社ではそんな給料払えないよ。」
その時、私が心から悟ったことは給料の金額よりも「私の人生において他人に頼ることは許されない」ということでした。

誤解がないように申し添えておきますが、人生の上で仲の良い友だちを見つけてお互い助け合いながら生きていくことができる人はいます。
ひとりで道なき道を進む人生なのか、仲間と進む人生なのかは各人がもつ宿命です。
言い換えるとこの世でなにを成し遂げたくて生まれてきたかによります。

その成し遂げるべきことは成し遂げないと、何度も同じ課題がやってきます。
私の例でいえば、友人となにかをする、という計画を何度立てても必ずうまくいかなかったのです。

そこでよく左脳の発達した人間が言うような、失敗した理由を考えて改善する、なんてことは無意味です。
列挙できる原因は表面的なものであって、その人の本当の人生の目的と意識的な行動が違っていると何度でも同じ課題がくるのです。

そこに気づかないと間違った方向への努力を重ねることになります。

婚活がうまくいかないなどと言っている人が本当に伴侶をもつべきなのか、探すところがそんなところでよいのか、会っている時にみせる自分はそれでよいのか、などたくさん自分らしさを確認するポイントがあります。それを一言で「うまくいかない」という杜撰な判断でいいのでしょうか?
それを「ブロック」だとか名付け、どこかにお金払って解決してもらうなんて、ありえることなのでしょうか?
(ブロック開放などと銘打って結果も出ないのにお金をふんだくっているところはたくさんあります。)

解決策は勇気が必要な方向にあることが多いようです。
その勇気を出さない限り、何度でも同じ課題がやってくるのです。
きっとこの人生で解決できないならば、次の人生に持ち越されることでしょう。

同じ課題にきずくと、解決のヒントがある可能性が高いです。

関連記事

  1. ミドルエイジクライシス

  2. Radiation Watch(日本中にガイガーカウンターを)

  3. 再び、叔母から

  4. 東京カレンダーなどの違和感

  5. 加計学園で文科省とマスコミは嘘つきにされる

  6. 今時の介護保険

  7. 「おまえの代わりはいくらでもいる」

  8. 週刊文春は有料メルマガ