サラリーマンのふり

欧米に倣えない

はっきりいって俺はおじさんだ。
ただ、自分でモノを考える努力はする。このブログでさらしているように、偏ったり間違っていたりするが、だから自分でモノを考えることを止めようとは思わない。

なぜか?人の意見を繰り返す(リツイート、トラックバック、コピペ)だけをやっていて自分が成長するとは思えない。
成長とは種から芽がでて花が咲いていくように積み重ねのことをいう。一足飛びに実を掴むことは成長と言わない。エンジニア的に言えば、改善することができないブラックボックスモデルは捨てた方がいいのだ。

子供のころ、日本が高度成長期だった。忘れてはいけないのは、そのころの日本は欧米製品を購入し分解し模倣した。今は世界に誇る車だって、大昔は「紙と木でできている」と相手にもされなかったことを覚えている。他国が日本製を分解し模倣しているのを非難できる立場には絶対にない。

GNPが世界何位だかに成長してからも、模倣は止まらなかった。理由は単純だ。学校教育では唯一正解がある、という問題しか提供していなから日本人はなんでも正解がひとつだけあると思い込んでいる。もっと悪いことに正解を繋ぎ合わせたら正解になると思い込んでいる。今の大人にもそういう人がたくさんいる。

だから、科学の分野でも基礎研究を怠るし、システムの分野でも試行することを極端に嫌う。
世の中では問題を作ることも難しいし、答えは何通りもある。 乱暴にいえば、大人と子供の違いはこれを理解し行動するかしないかだけだとも言えるのではないか。

ここのところ、脱原発についてドイツに倣えとか、ipadの部品には優秀な日本製を使ってもらっているとか、いう議論を新聞で見かける。これらはいつか来た道に戻ってきている。一方でプライドだけは頂点のまま。

日本の原発事情は日本の国土で起きていることで海外の解決を模倣すればいいというものではない。自分たちで考えて問題を抽出し解決しなければならないのだ。4号炉が爆発しそうなら、欧米の例はどうか、ではなく自分たちで解決策を見つけなければならいのだ。

今のアメリカの金融政策が過去の日本そっくりなのにお気づきだろうか。もう、日本が模倣できる国はない。

それでも答えなき世界で答えを見つけることができない日本は、所定のスペックを要求される世界でしか活躍できないのだろう。ならば、いい部品メーカーに徹することではないかと思う。技術者が高いからと台湾でボードの設計をさせていたら、いつしか誰もエンジニアがいなくなった日本では複雑なものは作れない時代だと思う。

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