雑感(日記)

備忘録 最近見た映画

沈黙の艦隊 北極海大戦

原潜ヤマトが空飛んだ。😁 よく壊れないもんだ。
でも、あの原作マンガだとこれから国連に命運を預けるんだよなー。
今の国連は常任理事国の半分以上、アメリカ、ロシア、中国が発狂してるからなぁ。
ここまでかもね。

国宝

原作の小説は文庫本で上下巻800ページある。それをいくら三時間映画とはいえ、圧縮するには無理がある。
そこを批判する人も多いようだ。
が、これはこれで、いくつか気になる説明不足な点があるけれども、予備知識なしに楽しめた。
時代の変遷は出てくる自動車でわかりやすかった。
主演の吉沢亮も横浜流星も、歌舞伎を踊りこなせていることにビックリ。練習しないとどうしようもない分野だからなぁ。たいしたもんだ。
「鷺娘」に始まり「鷺娘」に終わるんだなぁ。

国宝のテーマのひとつが「才能か血統か」である。
伝統芸能にこだわっている人は真実が見えないようだ。
そもそも歌舞伎自体、出雲の阿国により開始された娯楽である。当時の人が理解し、楽しんでいなければ木戸銭も入らず、今まで続くわけがない。その伝統の中で江戸幕府が1629年に女性の登壇を禁じたから、女形が必要となった。考えてみれば400年ほどの伝統芸能である。
ついでに能は世阿弥が亡くなったのは1443年なので、580年以上の伝統芸能となる。そりゃ、能のほうが格式が高いと言われるわけだ。

能を持ち出したには理由がある。世阿弥は天才だったのだ、とする。が初代には当然、伝統はない。新しい技術に伝統はない。ただ人から一応の評価を受けるレベルにまで自分で創意工夫し、持ち上げた人がいたということだ。
「初代に伝統はない」このことはよく考えるに値する。今、日本中に広まっている仏教も開祖ゴータマ・シッタールダの教えよりも、宗派の開祖:鑑真、栄西、道元、法然、親鸞、空海、日蓮などの初代がいて苦労して生き残ったから今がある。

芸事というものは傍で見ているとおもしろいことがある。売れて人気が出ると周囲はなにも言わなくなるのだ。駆け出しのころは周囲の人は軽んじ、バカにし、ダメ出しをし、誹謗中傷、ハラスメント、なんでもありだが、いったん売れて社会的ポジションを築いてしまえば、周囲は褒めちぎるばかりで批判などする奴は誰もいなくなる。安室奈美恵の芸能人生を見れば一目瞭然。
私なりに思うことは、その芸人のなにが売れる要素であるか、実は誰もわからないからではないだろうか。Aを否定すればBもダメになる危うさが芸事にはある感じがする。
美人の女優なら年齢が過ぎれば落ちぶれるのか?そうではない例があるじゃないか。吉永小百合さん。

つまり芸事って一定水準を超えると、ダメ出しをできるのは本人自身か、父親しかいなくなるのではないだろうか。周囲は評価できないから「血」に責任をかぶせているように思う。

伝統のないIT業界を見る。インドでは優秀な若者はIT業界に入ろうとする。理由が悲しくて、インドでは昔からある仕事はやれる階級が決まっているそうだ。階級とはカーストのバラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラ、それ以下、のアレである。
しかしIT産業はついこの間始まったから、入っていいい人の階級がない。だから「それ以下」階級でも優秀な若者はIT産業で成功しようと必死に働くそうだ。
そしてIT業界に「世襲」はない。あり得ない。笑

これは血統ってものが必ずしもいいわけじゃないことを示している。

話を「国宝」に戻そう。花井半二郎は喜久雄に才能を見出したから弟子にした。
それは芸能人として才能を見過ごせなかったのだと思う。一方で、周囲はそんな才能の煌めきはわからんから、血筋を重んじる。

片岡愛之助、坂東玉三郎など歌舞伎の門外漢な私でも知る人は、血統ではない。

芸を評価できる確かな目をもたない周囲の人がなにをキャーキャー言おうが、実力があり観客の支持という誰も崩せない評価が芸事の血統を超えるのだと思う。

「才能か血統か」の結論を出すのは以外や以外、なにもわかっていないはずの素人の観客なのだ。

関連記事

  1. 相撲の八百長

  2. ネットでの医薬品販売で被害者?

  3. サラリーマンが起業について勘違いしがちなこと

  4. 東京駅の某所

  5. 世界を一方向から見ていても給料はあがらない

  6. たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える

  7. 電動のこぎりをイヤイヤ買う

  8. 私が日月神示を嫌いな理由