雑感(日記)

被爆二世から見た2025年8月

私が被爆二世であることは、ここに書いた

「核兵器廃絶」に反対な理由も書いた。理念としては正しいが現実的じゃない。

原爆投下直後の広島がいかに悲惨だったかは最近復刻したマンガ「はだしのゲン」の前半でも読んだらいいと思う。(後半はおすすめしない)

幼いころに父に広島の様子を聞いたことがある。
が、怒られた。

「あんなもの人に話すものじゃない。亡くなった人たちは酷すぎた」

父は原爆で亡くなった人達の尊厳を守りたいから沈黙した。

新聞を読んでいて「原爆の悲惨さを語り継ごう」は正論に思える。ならば「フクシマの悲惨さも語り継ごう」と一緒に言いたい。

でも被爆二世や三世が当事者のようにいろいろ語ることは間違っていると思う。
私の父のように、悲惨に亡くなった人の尊厳を守ろうと考えているのだろうか?
伝言ゲームは意味が変わっていく。戦後すぐに書き残されたものを改めて読み直し、亡くなられた方々の冥福を祈るべきだと思う。
そうでなくても挺身隊というボランティアの言葉の意味を売春にねじまげようとしていたではないか。挺身隊は当時の女子学生が戦争に協力するボランティアだった。私の母も叔母も挺身隊で仕事した話をしてくれた。当事者から聞いているのだ。ほんの70年前の体験ですら、現在言葉の解釈を変える人がいる。今、言葉で伝えようという理念は美しいが、それが本当にありのままの事実を伝え続けるかは別問題だ。

政治で立派な趣旨が関係者によって歪められていくことをさんざん見てきた。原水協と原水禁と団体がふたつあることだって政治的理由だ。

一歩離れて、原爆のこと、父のこと、自分のことを考える8月上旬である。

ついでに戦争の評価について書いておく。
大東亜戦争でも太平洋戦争でも第二次世界大戦でもいいが、日本が負けた理由は官僚主義だ。
忘れてほしくないから、日本の官僚制度について書いておく。

明治政府が成立しても薩長連合の下剋上だったため、彼らには権威はなかった。だから天皇を担ぎ出し「国家神道」を作った。

天皇家を神道の祭祀の頂点の現人神として帝国主義を作り上げたのが明治政府である。
江戸時代の役人侍はそのまま官僚として組み込まれた。それは現実的な選択だ。日本国を運営するために新たに官僚を募集するなんてことやっていたら、相当な期間、政治に空白ができてしまう。

そうして官僚達は「上が変わっても食べていける」ということをなんとなく覚えてしまった。
だから戦争中も陸軍と海軍でいがみあうなんてことが平気でできたのだ。
実際、敗戦後だってほとんどの役人は日本政府に雇用されて生き延びている。

しばしば「日本は革命がおきたことがない2000年以上続いている国だ」とうれしそうに語る人がいるが、裏返せば「2000年以上もお上に逆らわずへいへいと従う奴隷根性の染み付いた国だ」ともいえるのだ。

そのうち書こうと思っているが、日本に上級国民は存在するし、民主主義なんて付け焼き刃だ。

しかし、そういう支配を続けてきた人々ですら困った事態になっていることが少子化である。
日本始まって以来の問題だし、人口が減れば確実に国力は弱まる。支配対象の人は減るし、税収も減る。
さぁ、日本の支配層や官僚はどうするのか、私は密かに笑っている。

 

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