鎌倉という土地にしばしば来ます。
どこか掘ればすぐ遺跡や人骨が出るとまで言われているくらいのせいか、こんな古地図と現在を比較するサイトまであります。
私がいるところは眼の前の道路はとても古いようですが、土地はもともとは田だったようです。
そのせいか鎌倉の土地の浄化は簡単にいかないと言われています。いろんなところにいろいろな霊的存在があるということらしいです。
もちろん、神社仏閣もたくさんあります。
神道と仏教の微妙な関係
神社仏閣の霊的な扱いは複雑です。もともと神社は神道というとおり日本古来の宗教というか考え方ですよね。八百万の神というようにあらゆるものに神が宿る。この考え方は世界中に見られる考え方で、スピリチュアルな存在は精霊や神と呼ばれています。
一方、仏教には神はいません。お釈迦様も観音様も仏道の大先輩です。お釈迦様は亡くなる前にこのような言葉を残しました。「自灯明、法灯明」これは自分と教えを導きとせよ、他を頼るな、釈迦自身ですら拝むな、ということです。
仏道は成就のレベルに応じ、如来、菩薩、明王、天部というランクがあります。これを知っておくことがなぜ重要かというと、如来、菩薩のような悟りの境地に至った存在はあなたの願いを叶えたとして見返りを求めません。大人なのです。そのかわりあなたの願いを叶えるかどうかは、仏から見た事情によります。
しかし、明王や天部という存在はまだ悟るに至らず願いを叶えると見返りを求めます。たとえば、お稲荷さんは稲荷大明神といいますが、天部です。だからお願いごとをした時にきちんと見返りを渡さないといけないのです。
この一種の契約のような行為を日本人はごくごく普通にします。神社仏閣でお賽銭を放り込んで願い事をしますよね。神様のサービスを買う行為について、おかしいと疑問をもってください。親としてのあなたは子どもの願いを叶えて見返りがほしいですか?子どもが喜びすくすく育ってくれることが喜びではありませんか?それは如来、菩薩の境地であることを知ってください。
個人的にはちょっと拝みに行く時は願い事など言わないことにしています。敬意だけを置いてきます。
さて日本では奈良時代に仏教が伝来しましたが、平安時代より「神道で祀られている神々は、仏や菩薩が衆生を救済するために、姿を変えて現れたものである」という考え方が広まりました。本地垂迹説といいます。これにより例えば、八幡神は阿弥陀如来であると八幡様を祀った神社に同時に阿弥陀様を祀ったりしていたのです。地方の神社などではいまだに見ることができます。1000年以上そのように日本人は考えてきたのです。
ところが明治時代に天皇中心の政治とするために国家神道が作られました。この影響は大きく、神仏習合は禁止され神社と仏閣は別々となりました。さらに今多くの人が神道だと思っている考え方を明治政府が広めました。日本古来の神道は古神道という名称で分類されています。たとえば出雲大社などは古神道です。
天皇が宮中で祀ってきた仏教の祭祀が廃止になったのも明治になってからです。
明治政府は日本人の精神世界をかなり叩き壊してしまったのです。
日本神道のユニークな考え
日本の神道には世界ではあまりない考え方があります。それは死者が神になるという考え方です。日本武尊を祀った神社はあちこちにありますが、天皇の子どもというよりも、神様として祀られています。最近なら都内にある明治神宮が目につきますね。明治天皇は1912年に崩御しましたから、ほんの113年前の出来事です。昭和天皇は人間宣言をされましたから神として祀られることはないかもしれません。
この神道特有の考えが「人のように振る舞う」神様を描き出しました。たとえば大国主命は次々に妻を作ったことで知られています。日本の神様はもとは人であることが多く、神様だから立派な道を歩んでいるとは限らないのです。まぁ、ギリシア神話の神々もひどいものですが。。。
呪詛における仏教と神道の違い
この前提をふまえて本論に入ります。
神様を例にひくまでもなく、そもそも人の善悪とはいい加減なものです。
平時には人一人殺しても大騒ぎになり、罪に問われます。しかし戦争となると「できるだけ相手を殺したい」「正義はこちらにあるから、神はこちらに味方するべき」などと言って恥じるところがありません。
それを神社の神殿や仏教の加持祈祷をしてきた歴史があります。
倫理的にはどうなんでしょうね?
たとえば戦時の加持祈祷で有名なものに大元帥法という儀式があります。これは大元帥明王に祈願をするのです。
神道では昔から八幡様にいろんな人が戦勝祈願をしてきました。敵も味方も「我こそ正義ゆえ、勝利を」と唱えてきたことでしょう。
呪詛を成功させる方法
ここから次のことがわかります。
- 呪詛を受ける神は、レベルは低い
- 呪詛は一種の契約
- 正義であるかなど、もとより関係はない
呪詛をする時になにをすればいいかがわかってきます。
稲荷など明神、明王レベルの神様を選び、しっかりお供え物をもって、自分のエゴをお願いにいけばいいのです。
多くのスピリチュアル本が「神様は正しい人を」などと書いています。
それはなにが正しい道であるかを倫理的に理解したレベルの高い人の話です。
カネが欲しい、男が欲しい、復縁したい、などとエゴまみれの人間はそんな綺麗事は言わずに素直に神様と契約をすればいいのです。それがもっとも呪詛が成就する方法だと思います。