雑感(日記)

思想を縛ってはいけない

日本人はユニティが大好きだ。周囲がみーんな同じ考え方をすることをいう。
反対の言葉がダイバシティだ。多様性。

ユニティは楽だ。家族みたいなもんだからな。

でもね。大きな問題がふたつある。

ひとつめ。
考えが近い人ほど、今度は考えのささいな違いがきになる。
歴史をふりかえればわかるけれども、宗教では同じ宗教で◯◯派と△△派の争いのほうが歯列なのだ。
キリスト教でのカトリックとプロテスタント。イスラム教でのスンニ派とシーア派などなど。

会社でも他社との競争よりも、社内の派閥抗争のほうが熾烈だ。覚えがあるだろう。

ふたつめ。
ダイバシティは行動さえ期待通りであれば、なにを考えていても自由なのだ。
日本人は考え方と行動を一緒くたに考えるように子どものころから教育する。
だが、それは行動と思想を分離できていないことをに気づいてほしい。
(多くの人が知っていれば、わざわざ議論しない)

つまり考え方をそろえるということは、思想統制であるということだ。
今はどうか知らないけれども、大昔に京セラ系の会社への転職話があった。
しかし仕事の要求の中に「稲盛和夫のアメーバ経営を信じること」とあったので逃げた。

外資系では行動は縛れど、思想は縛らない。
当たり前だ。それがリベラルなのだから。

思想を縛ることと、行動を縛ることは違う。
この違いを峻別していないと、人として恥ずかしい行動を取ってしまうことがある。

ちなみに「アイキャッチ画像」の因果応報も思想である。
勘違いしている人が多いが、存在しない。

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