NHKの朝イチという番組で、「天使ママ」の特集をしていました。
天使ママとはお子さんが流産、死産して逝ってしまったお母さんのことです。たいへん残念な結果にご冥福をお祈りします。
が、私はそういう人たちが嘆きあう集まりがあるということを知り, なんともモヤモヤしました。
辛い経験を分かちあって私だけではなかったのだと思うことは生きていく上で力になると思います。それはこのような集まりのポジティブな面でしょう。
じゃあ、いつ、その集まりから抜け出すのでしょうか?
急かしているつもりはありません。落ち着くまでおられて一向に構わないと思います。
が、ずーっと何年もそこに留まり嘆き続けるのでしょうか?
テレビではいない子供の身長、体重が同じクマのぬいぐるみを作りっている人もおられましたが、私はゾッとしました。
範囲を広げると「毒親のせいで生きづらい」とか「いじめにあって働けない」とおっしゃる方も、おられます。
私はフルセット、毒親の元で育ちましたし、イジメも受けました。修羅の街育ちですから教師に血が出るまでぶん殴られたことも何度もあります。ついでにパワハラも受けたこともありました。
でも、私が考えたことはただひとつ。
「私のことを何も知らないこいつらに私の生き方を邪魔されたくない」
私は究極のエゴイストかもしれません。子供の頃はまだ生々しかった戦争の犠牲になった人の子供でもなかったし(除く原爆)何度か起きた災害の時も運良く影響のない土地で暮らせていると思っています。
不幸にして事件に巻き込まれなくてよかったと考えてしまうほうです。
人生でなにが起きようが、それをどのように解釈して自分への影響とするかは、その人に許された自由です。誰にも止められない神から与えられた自由と言っても過言ではありません。
お子さんが亡くなったことを、自分の寿命の限り嘆き周囲の人にイヤな思いを振りまき続けることも、毒親に育てられたからなにも出来ないと働かない人生を送ることも、虐められたから働けないと他人と交流しないことも、その人が選択することです。
起きた出来事の評価も、自分の中での影響度を決めることも、他の選択を消していることも、まぎれもないその人です。
小さいことでは、やりたくもない仕事を続けるのか、変化を恐れずに転職するのかも、その人の選択です。
だから、アドラー心理学では「トラウマは存在しない」と極端な言い方をします。
人生で辛いことは起きます。サラリーマンをやっていても、パワハラ、いわれのない中傷、嫉妬やっかみ、病気、左遷、リストラなどなど起きます。
「私には起きない」などと呑気に無防備でいると人生はあなたを叩き起こすために恐ろしい衝撃を与えると思います。そういう辛いことから親や夫婦を利用して逃げ回っていたら薄っぺらい人間になることでしょう。
辛いことが起きた時、自分の人生をその影響にゆだねるのか、自分で決めるのか、決定権はあなたにあります。