雑感(日記)

東京カレンダーなどの違和感

ネットでは「東京カレンダー」のように、しばしば銀座や六本木をフラフラしている人々の描写が出てくる。
憧れている人もいるだろうけれども、私は違和感しかない。

思えば大阪で学生生活を送っていてキタの新地でホステスさんやピアノ弾きさんが腹ごしらえに来る小料理屋でバイトしていた頃、
日本IBMに新人として入社して、最初の年のクリスマスから当時の六本木の本社で徹夜でシステムテストしていた頃、

NTTにいて銀座で接待したりされたりしていた頃、

すべて違和感しかなかった。

理由をポンと思いついた。

人間は飯を食ってウンコして、人のために働いて、エッチして、眠って起きて生きて行く。
物理的に動物なのだからどのように飾っても、これらから逃れられない。
それはオスとメスの行動だが、東京カレンダーでは「男」と「女」と書き換えて人間の普遍的価値観であるかのように描写する。

ご飯は農家、畜産家や漁師から売ってもらわなければならない。その人達は着飾ってはないけれども、その道のエキスパートだ。
移動するために車やクルーザーを使うなら、正確な設計と工場で具現化する人達がいなければ車は存在しない。その人達は作業着着ててもエキスパートだ。
その他諸々、人はお互いのためになにかリアルなものを作って喜ばせて生きている。

例外がエンタメのために働いている人々だ.
この人達は、何一つリアルな人間の生活のことを考えない、
価値尺度は他人だし、作るものもウケるかウケないかは時の運がある。
最終的には生殖行為にすぎないことの前にいろんなゲームを繰り広げるが、単なるエンタメに過ぎない。
地に足がつきようがない人々だ。
それは巨匠の宮崎駿だろうが、大役者の役所広司だろうが同じだ。

ブランド物だって同じだ。いつも書いているけれどもブランドはブランド運営会社にコントロールされている代物だ。ブランド製品がどのようなプロセスで市場に出てくるかはほとんどの人が知らない。
なぜブランドになっているのかすら知らないだろう。
俺は革製品は専門家だったことがあるから思うけど、秋ごろに出るカバンの新作は時々明らかな手抜き商品があるよ。話しだしたらキリがないけど。
だからブランドを管理する会社という奇妙なビジネスが成り立つ。

どれだけマジメに頑張ろうが虚業であることに変わりはない。
だからムキになって彼らは自分を「クリエーター」と呼ぶのだろう。
この間書いたように、普通の人の多くも間違いなくクリエーターです。

そして尺度が人間の間でしか通用しないお金でしかない。
他の産業と違い、自分の成果を自分で評価できないのだから仕方ない。
お金で測れる尺度は売る人と買う人がいるからこそ成り立つって理解できているのだろうか?

ああ、それなのに「港区女子」はキャバクラ嬢や銀座のクラブのホステスにあこがれ
そこにやってくる「一流と名乗る人」とお金を使うことが幸せだと思っている。
行動基準はすべて他人からどう見えるか、しかない。
だから「流行している」という言葉に極端に弱い。
それを手に入れることが自分の武器だという世界にいるから。

「寿司屋でこんなに大きなアワビを食べたの。あれ、いくらするんだろう?」

いやいや漁師が友達なら、もらえるものですけど? 

東京のゴクゴク一部のローカルルールが世界標準だと思い込み、そこに入り込んでいる自分がスゴイと思っている男女。

明日、地震が来てカネなんか通用しなくなったら、この人たちはどうするんだろうな。
今年、アメリカに恐慌が起きてS&P500が弾け、カネヅルが消えてもちゃんと生きていけるのかな。

男や女という性差を売り物にした虚業と乞食をしたお金で一生生きていけるという思い込みが、なんだかおかしくて仕方ない。
あまりにもわかりやすいルールだからこそ、ものを考えられない人達が参加しがちなゲームだ。
風俗に入れあげるのだって同じように思う。
「自分は動物であって生存するという軛から逃げられない」なんてまったく考えていないから、じゃがりことジュースで生きて、エンタメ中心の生活ができてしまう。

人それぞれ意見はあり異論はあると思うけど、私は生涯実業に身を捧げてよかったと思ってる。

 

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