以下は世界は物質しか存在しないと考えている人は反感をもつと思うので、読まないでほしい。
「多世界」をここでは考えたい。この言葉に関心がある人は一緒に考えてみてほしい。
時間は空間により定義されている。これは物理法則だ。
実際に重力により歪んだ空間では時間の進み方は相対的に遅くなる。
そうすると時間を遡ったり、先に行ったりが理論の上は可能だ。このことはどっかに書いた。
そうすると(特に未来は)さまざまな因果関係の可能性により無限にあると考えられる。
これを多世界解釈という。
ここからは推測だが、その多世界は微妙に重なり合っている気がする。
我々の記憶が重なり合うことで成立しているのと同じだ。
だから隣り合った世界は違いを見分けることがむつかしい。
それでもいくつもの世界が重なり合っていて、だんだん違うところが出てくる。
さて、その違う世界に移動するにはどうしたらいいのだろうか?
よくわからないが、それもなんとおりかの方法があるようだ。
もっとも知られて居る方法が、わかりきった方法をなぞること。
例えば、高い給料をもらうためには、高い給料を払うことで「知られている」大企業に勤めればいい。
大企業に務めるためには「知られている」偏差値の高い大学に入学すればいい。
偏差値の高い大学に入学するには「知られている」高校に入学すればいい。
しかし、これは妄想だ。
なぜならば成田悠輔氏が発見しているように、東大にギリギリで入った人と東大をギリギリで落ちた人の人生はたいして代わりはない。
つまり人は思い込んだ道を歩み、知られている道は強いワダチがあるため変えることが難しいのではないだろうか。
逆に人が想像もしていない道は、本人が想像したとおりになりやすい。
私がトラブル対策で経験してきたとおり、「結果、どうなって欲しいのか」を想像するとだいたいそうなる。
そこに一抹の不安があれば、やはり、そうなる。
理由は誰も結論を思い描かないから、ひとりの人間の妄想にひっぱられるからだ。
今、私は「うみねこカンパニー」という会社をやろうとしている。
数年後のドローン展示会において、
かわいい社名なのに、ハードな海にチャレンジしている初期のドローンボートが展示されている。
そして荒海をけなげに進むビデオが上映されているはずだ。
そして石巻にガレージハウスをもち、そこで仕事をし事務所兼工場に寝泊まりしている。
漁協さんがお客さん。
エンジニア社員もできた。
小売りも順調だ。
さぁ、11月に俺はなにをしているのだろうか?
このように個人的なことを書く理由がある。
今、あなたはこの文章を読んで意味を理解した。
それは私の多世界創造を手伝ってくれたということだと、私は考えるからだ。