子供のころから不思議なことがあります。
いつまでたっても演歌の愛好家が消えないことです。
演歌好きは決まって年配の人です。
私の記憶にある5歳ごろから、ずーっと年配の人です。
時々、年配の演歌好きは未来永劫生き続けているんじゃないか、と思うことすらあります。
松田聖子が歌っていた歌謡曲ですら死滅してるんですよ?
演歌はしぶとく生き延びています。大晦日のNHK紅白歌合戦なんかに出てきます。
北の漁師町にうぶな若い長い黒髪の美人がいて、とおりすがりに恋に落ちて、数日後に別れる時は女が涙をみせずに手をふる、なんていう男にとって都合のいい話なんてイマドキあるわけがない。
いったい、聞く人々はなにに共感できるのでしょうか?
私は爺さんですがさっぱり共感できません。むしろ、北の漁師町にすれっからしの茶髪の年配女がいて、男ににこやかに親切にし、一夜の恋に落ちたはずが翌日、財布と共に消えた、という話にしてほしいです。
私はRide On Timeを大学生のころ聴き、Softlyを今聴き、ずーっと活動されている山下達郎やユーミンなどに感嘆する世代です。すでに爺いですが。
さらに驚くことは、いまだに昭和の価値観がそこいら中を徘徊していることです。
新聞には「バスの運転手が昼ごはんにカレー食べていたら、クレームが来た」と報道されています。同じような話はスーパーで「ただいま、従業員が水分を補給しております」とかいうアナウンス。
これくらいならまだかわいいもので、どこかのマンションでは「警察沙汰なんてみっともないから、自治会でできるだけ解決しましょう」といいながら、名簿に住人の名前、家族構成、携帯電話番号まで書いたり。
演歌好きはいまだに理由が不明だけれども、昭和の価値観をひきずっている人達は中学校くらいから、まったく学習をしていない人々だと思います。
その後覚えたことは、タバコとセックスくらいなんでしょう。
なぜならば、そういう人々は昭和の価値観というよりも、人生の価値観が子供時代から変わっておらず、自分で考えていないので、主張に根拠がないという特徴があります。
学校の先生や親のような誰が付与したのかわからん権威にへいへいと従う。努力すれば結果が伴わなくたっていい。まじめなら正しいことをやっている。個人のプライバシーってなんですか。取引はおカネを出すほうが偉い。会社は一度就職したら定年まで添い遂げるべきで辞めるなんて逃げ。警察を呼ぶなんてとんでもない、裁判なんて犯罪者がかけられるところ。
私は比較的子供のころのことを覚えていて、上のような決めつけに「なぜだ?」と周囲に聞いていたら「常識のない奴」と言われました。根拠を考えるということをする人がほとんどいなかったのです。
昭和は「常識」で思考停止すればよかったのです。まぁ、価値観を共有、同意していなければ生きていけなかった時代かもしれません。
今でもマナー講師が「これが礼儀の常識」と主張して「根拠がない」と笑いものになっていますが、マナー講師は子供のころで考えが止まっていて、自分が権威のつもりですから周囲になぜ笑われているのか理解できていないのではないでしょうか。
子供のころに学んだ価値観以降学習が止まり、そのままキープして人間タイムカプセルになった愚かな人々が昭和の価値観をふりかざすのです。
世間も根拠のないわけのわからんクレームや非難は相手にしなければいいと強く思います。なによりも、そのクレームの対象の人、クレーム処理する人の人間としての尊厳を著しく傷つけます。後ろでのほほんと「なんとかしろ」とか言っている無責任、怠惰かつ卑怯な管理職に本当に腹がたちます。
自分が痛みを被らないから、そんなことを言ってられるのですよ。
みなさんも「対応している会社」よりも「対応させられている個人」に注目してください。弱い人に注目しましょう。
ここからわかることは、人間は死ぬまで学習しつづけなければならない、ということだと思います。大人になったから学習しなくていいなんて、怠慢な人間の言うことです。
世間の常識ですらそうですから、仮そめにもプロとして仕事をしていた分野も同じだと思います。
高校生から定年近くまで、深く学ぼうとせず、いい加減に過ごした人が今、リスキリングなどをしなくてはならないのだと思います。
もちろん、技術革新で蒸発した業界、卸売業などにいた人は仕方がありませんが、業種を変えて学ぶことはタイヘンだろうな、と推察します。
しばしばIT分野への転職などの記事を見かけますが、社会人になってずっとITエンジニアをしている私から見ると、とてもじゃないですが、年配から参加してもIT技術の専門家にはなれません。特定の分野に絞って、多少周辺のことができるくらいが精一杯だと思います。
理由を説明するために、プログラミングを仮に取り上げてみます。職業訓練校でプログラム言語の基礎を知ったところで売り物になるプログラムは書けないです。嘘だと思うならば、そのプログラム言語で書かれたGithubのプロジェクトを見てください。おそらく、習ったはずのプログラム言語で書かれているはずなのに、まったく読めないと思います。
職業訓練校で教えている講師だって怪しいものです。
これはITに限らず、大工などの職人も同じだと思います。どこかの大工学校で習ったからといって、木の変化を計算にいれた木組みなんてとうてい無理でしょう。
専門家になるということは、多くの経験を持っているということであり、ちょっと勉強しただけでなれるはずもないのです。
なにも考えずに目の前で収入がよさそうな仕事をとっかえひっかえして、なにも知識を学んでいないと、年を取ればとるほどタイヘンになるのです。
しばしば転職などで奥さんが「とにかく給料の高いところ」と旦那を叱咤しているなどの話を聞きますが、それは大きく考えると収入を失うことなのです。
世間を騒がせている頭の悪い主張は、世間の変化についていけなくても生きてこれた「専業主婦」や役人の間に生き残っている昭和の亡霊でしょう。
家にどれだけ収入があっても、世間知らずにならないよう、年齢を問わず働きに出て学び続けるのがイマドキの人です。