博士号取得のコースを終了しても、仕事がない、といういわゆる「ポスドク問題」が指摘されて久しい。
文化系のドクターコースは絶望的だとかいう。
これらについて、今日は自分ができることではない、無責任なことを書く。
文化系だから食えないというのならば、ビジネス界でもてはやされているMBAをどう捉えればいいのか?
食える資格のひとつである弁護士は法学部だ。
科学技術について言うならば、特許を取れるレベルは大学の研究室レベルでなければ難しいだろう。
学歴はカネを産まないが、知識はカネを産む。
そもそも大学って「ホンキで金儲けするつもりがあるのですか?」と聞きたい。
文科省から助成金を削られても、文句を言うだけでそれを甘んじて受け入れてしまっているのではないだろうか?
考えてみれば、今の日本はびっくりするくらい悪条件を受け入れてしまう人が多い。
パートの賃金でも言われることだが、いくらにしても応募する人が現れる。
地方ネタですまんが、船橋のヤマハ音楽教室の窓にデカデカと最低賃金を下回るアルバイト募集が出ていた。
それでも応募する人がいるのだろう。
日本は貧困になりつつあるが、ブツブツ言うだけであがく人が少ないのではないだろうか?
一方で、学校はカネの成る木だ。
近頃の小学校はNTTに騙されて低性能タブレットを買わされているようだ。NTTやタブレットメーカーのNECは大儲けだ。そういうカネをなぜ大学はひっぱろうとしないのだろうか?
オックスフォードやスタンフォードを見てわかるとおり、授業料で食べていくビジネスモデルはすでに成立していない。
知性でカネ儲けするのが主流なのに、日本の大学を運営している人々はいったいなにをしているのだろうか?と思う。
日本政府のやり方も不思議だ。
せっかく防衛省まで作ったのに、大学に軍需技術の研究はさせていないのだろうか?
思いおこせば、今、世界に広がっているインターネットもアメリカの軍関係の研究からスタートした。
アメリカがいまだに研究開発に国家予算をつぎ込む理由は、アメリカ以上の科学国が出現し、科学技術で負けては国が成り立たないからだ。
そこまでとはいかなくても、今の日本に科学技術を追い求める必死さがあるだろうか?
研究にはいろいろあって、役に立たない研究もあるが役に立つ研究もある。
それらを並べてすぐにカネになりそうなものに予算を割くというやり方がわからない。
研究者こそがベーシックインカムを適用すべきではないのか?
で儲かった研究の一部は基礎研究をやっている人にも回すべきだろう。
一方で知をカネに変える専門の部署をなぜ日本は作らないのだろうか?
「デジタル庁」なんていう役人の軋轢で消えるに決まっている省庁より大事だと思うのだが。
このままいくと、日本はノーベル賞どころか中国で発表された論文をまねられればいいほうで、書いてあることも理解できない後進国にまで転落していくと思われる。
一見、役に立たない分野の学問でも維持していくことが大事なのに。
典型的な例をあげる。20年前まで大学の化学分野で電池を研究している人はマイナーだった。しかし今はモバイル、車の動力源として熱い視線が注がれている。すると急いで研究者を育成するはめになる。
50年前までは造船は国の基幹産業のひとつと見なされ、エリートコースだった。いま、造船を日本のどこでやっているか知っている人は少ないだろう。だからといって、研究を辞めちゃいけないのだ。
「知は力」が忘れ去られた国に未来はないと思う。
自分ではなにもできないけれど、知性を軽んじている今の日本の将来は不安だ。