サラリーマンのふり

「優秀な人」信仰

サントリーの社長の新浪剛史氏が不用意に「45歳定年制が必要という趣旨の発言をし、炎上していますね。
いやぁ、この新浪氏自身、そんなに優秀なんですかね?
ローソンで高品質おにぎりを作らせたという話は有名だけど、自分が作ったわけじゃないんだよね。
今のサントリーでなにかしたんだっけ?

若いころから大きい会社の経営者になってしまった人って、すごく気の毒だと私は思っています。
なぜならば自分がやっている事業のフロントラインに立てず、事業の本質が見えないから。

そういう人が陥りがちな罠が「優秀な人がいれば、すべての問題を解決してくれる!」

ではないでしょうか。

会社のリストラの記事などを見ても、いとも簡単に「優秀な人に会社に残って欲しい」と書いてあります。

はぁ?

「優秀」って考え方っていくつも問題があると思います。

  1. 「優秀」の尺度が不明
    いつも私が言っていることですが、極論で示すならば、東京のオフィスでペーパーワークをしていて優秀な人と、ダム建設場の現場で優秀な人は求められるスキルが違います。
    にもかかわらず、いろんな種類で一律に「優秀な人がいれば」とは妄想です。
  2. 「優秀」な人間はその人のフレームワークをもっている
    優秀じゃない筆頭を考えてみればわかります。なにごとにおいても指示を待つ人。自分で考えて大きめの目標に進めないから、行動レベルにまで落としてチェックするしかない。
    逆に優秀と言われる人は自分でどんどん判断して進めることが優秀である証拠です。
    そういう人に愚かな人が行動レベルの指示を始めたらどうなるでしょうか?
    優秀な人に「細かく俺の指示に従え」ってありえない話なのです。
  3. 「優秀」がポテンシャルを示していないか
    しばしば地頭がいい人や学歴の高い人を「優秀」と言ってしまいます。会社における業績評価で、各自の目標達成度ではなく「優秀」というポテンシャルで評価してしまったら、会社は学歴主義と権威主義が幅をきかせてしまい、本業を地道にやる人はいなくなってしまうことでしょう。
  4. 「優秀」を集めれば「できない人」ができる
    アリの例で有名なように、エリートを集めて働かせるとその中にも必ず怠け者が出てきます。
    全員が優秀で、全員がキビキビ働くって人間の特性を無視した妄想です。

かように「優秀な人」を求める人って子供と同じ、ないものねだりなのです。

簡単に「優秀な人」などと言わないようにしましょう。
もちろん軽い会話の中では問題ありませんが、定義も定まらないまま真剣に使っているとロクなことになりません

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