木村岳史氏の連載コラム「極限暴論」で、「「時代遅れの人」を求める企業や行政、日本がIT後進国に落ちぶれた理由はこれだな」というのがあり、鋭い指摘をしている。
日経の記事は時間が経つとカネ払わないと読めなくなる不思議なシステムなので、要旨をあげる。
- 日本企業、公共団体はムダなシステムにカネと人をつぎ込む。
標準化されたパッケージを嫌い、どうでもいいシステム要求を重視するため独自システムを作る。 - そうやって貴重なはずの「IT人材」を死蔵する。
システム保守のために人が保守のためにはりつく。 - 人材を他業種から投入したところで、多重下請け構造で激安給料で働かねばならない人にしかならないし、人材のスキルの区別を政治家、官僚は理解していない。「IT開発」技術も大事だが「IT利用」技術も大事なのに。
(だから小学校でプログラミングなんて教えるんだ。日本のプログラマーの給料はOLより安いのに、なぜ推奨しているのか不思議でしかたなかった。) - IT人材への期待が日本では「時代遅れ」な人
とくに4番目の指摘が今回のコラムなわけだけれども、日本はシステムについて枯れた技術でトラブルを起こさないことが最優先となっている。先般のみずほ銀行のトラブルも頭取がクビになるほどの悪事だとされている。
しかしそれでは日進月歩の新しい技術を日本では採用できなくなる。枯れた技術で機械のように動くシステムを期待しているのでは、新しい技術など採用のしようもない。
いまだにCOBOLを愛してやまない企業は日本にたくさんある。
この日本独自の新しい技術に立ち向かえる見識のなさが、低いレベルのIT人材しか要求しないことにつながる。
(まとめはここまで)
言い換えると、多くの人が認めたくないだろうけれども、日本はITの利用技術、利用リテラシーが絶望的に低く、今後も改善の見通しがたたない。
なぜならば、システムがトラブルを起こすことは悪である、という認識は日本では広がりきっていて、いまさら変更のしようがないからだ。
マスコミが短絡的な考えで日本国民を洗脳したつけが、ここにも出ている。
私もそれでわかったことがある。
システムを変えることが悪である日本では、システムのテストについての技術が驚くほど広まらない。
先般「Ruby On Rails Tutorial」をやったんだけれども、まさにテストドリブン。
テストケースを作ってからコードを書いていく。
一見めんどくさいように見えるのだけれども、自動化していると何度でも気軽にテストを流せる。
ところが日本のシステム開発の現場ではあいかわらず、システム作ってから人がテストをするのが主流だ。
だから「ERPのテストには3年はかかる」とかイマドキの技術についていけていない発言が平気で出る。
そして低賃金でクズのようなコードを書くプログラマーが日本のシステム構築現場を支えているのだから「テストドリブン」の開発など導入されるまでに、何十年かかるだろうか。
ここまで読んでいただいた方の中には「システムがトラブルで止まるのは悪いことじゃないの?」と疑問が溶けないかもしれない。
こう考えてみてほしい。99%止まらないシステムって(365日x24時間x(1-0.99)=)87.6時間は停止する。
つまり3.65日。99.9%止まらないとしても8時間。99.99%止まらないとして0.8時間。ようやく1時間を切る。
なんとなくみなさんの期待は99.999%で年間5分程度しか止まらないシステムではないだろうか。
つまり、とてつもない信頼性を普通だと考えているわけ。
本来はいくつかシステムを用意して切り替えることが考えられるが、運用の面倒さからあまり採用されないのが現実だ。
つまり「止まらないシステム」とは、信じられないほどの精度で動かねばならない、もともと異常な常識だと理解してほしい。それを安く簡単に要求する日本はおかしいと思ってほしい。
DX以前に日本の既存のシステム構築環境は人材、技術のどちらも絶望的である。
さて、
ということは日本ではあいかわらず海外の優秀なシステムの劣化版を日本語で作ってクラウドサービスにするというビジネスが続けられるということではないだろうか。
実際、今、宣伝しているクラウドサービスってほとんど海外に似たようなものがあるし。。。