「いつから無意識は意識に制御権を渡したのだろうか?」
という疑問をある時抱いたのです。
脳の構造で大脳新皮質が意識、認識、思考を行う場所であり、比較的後にできたといいますよね。
哺乳類の大半は新皮質をもっているけれども、古皮質、旧皮質部分は生命を継続するための役割がある。
爬虫類、魚類には新皮質がないので本能だけで生きているらしい。
でも蛇は飼い主を認識するよねぇ。しかも寝るし。
絶対にどこかに意識があると思う。
我々は普段、現実という世界に向かっている時は意識をもつ。
そして眠っている時は現実を見ない。無意識が支配している。
脳に新皮質ができて、どんどん意識は色濃くなってきたけれど、新皮質ができる前は意識はなかったんですよね?
生物の進化のどこかで、無意識から意識に制御が渡されたってことですよね?
その代わりに睡眠という無意識が支配する時間が絶対に必要になった。
我々は睡眠を避けることはできない。無意識に制御を渡す時間を避けられない。
意識が生まれた時、それより前の主人公だった無意識はなぜ意識に制御を渡す時間を与えたのだろうか?
それが全生物共通のルールであることが不思議。
意識の研究で、無意識は意識よりもはるかに多い情報と体を司っていることがわかっている。
いいかえれば我々の意識は無意識という巨人に乗っかった子供のようなものだ。
そう思い出さないと意識でなんでもコントロールできると自惚れてしまう。