今日は起業について(たぶん)どこにも書かれていないことを議論したいと思います。
読まれる方は私の考え方の整理におつきあいください。
さっそく本題ですが、世の中のビジネス(金儲け)はなくちゃいけないことと、どーでもいいことがあります。
なくちゃいけないこととは「それがないと困るよね」です。
食品や食品のための流通業、公共交通機関などはそうですね。
例(食品)
丸大ハムは日々の生活に必要だけど、「イタリア産プロシュート」はなくてもいい(実際、昭和のころには日本になかったと思う)ものでしょう。お断りしておきますが、この記事はプロシュートが生活必需品かどうかを議論する記事ではありません。そのような議論が沸き起こることに注目してください。
最近は木だけを見て森を把握できない人が増えているので困ります。
丸大ハムは工場で作っているから日本全国津津浦浦のスーパーに並べることができる供給量をもっています。
おそらくイタリア産プロシュートは農場で職人が作っているのではないでしょうか。
以前書きましたが、ブランドには伝説が必要です。
イタリア産プロシュートはもちろん「希少なハム」「うまい」というわかりやすい伝説がついています。
ブランドがわかりやすいのは銀座に並んでいるお店ですね。かばん、化粧品、服、宝石、時計、飲食店。
例(服)
バーバリーはイギリスのブランドですが、イギリス軍がトレンチ(塹壕)で働く兵士のために作ったコートが伝説です。バーバリーチェックもスコットランドのタータンチェックの一部であり、伝統のあるものです。
そのバーバリーを転売することで呑気に商売をしていた三陽商会がバーバリーに捨てられた後、マッキントッシュ・ロンドンなんていう自前ブランドを立ち上げても伝説が皆無ですから売れるわけがありません。(イギリスのマッキントッシュには伝説があるけど、マッキントッシュ・ロンドンなんて伝説はないんだよ。)
ブランドはリアリティのある伝説がなければ「ファッションセンターしまむら」に並んでいてもおかしくありません。
「ファッションセンターしまむら」や「ワークマン」や「ユニクロ」に行く人はブランド伝説が欲しいわけじゃなく、丈夫だけど心地いい下着、とか、涼しいカットソー、とか、寒さをしのげるアウター、とか機能を求めているわけです。
だから安い。
というのも、生活必需品は安いという原則があるからです。
それは貧しい人でも生きていくために入手できなければならないという条件がついている以上、原則として一定の値段以上にはなりません。
ビジネス面で考えると、たとえ単価が安くても、大量に生産して販売できるものであれば、それでいいわけです。
大企業が得意なこととなります。
例(時計)
逆に実用性のないものの代表は時計でしょう。厳しい自然環境の中(林業、漁業、自衛隊)の人はスマホをもっていないでしょうけれども、他の人々はスマホをもっているのではないでしょうか?
そして駅のホームから転げ落ちるほど画面を見ているならば、腕時計なんぞいらないはずです。
ところが腕時計市場を見れば、スマートウォッチ、クオーツ時計、機械式時計が巾を利かせています。
機械式時計は生活必需品とは、さすがに言えないでしょう。
それほど精度は高くなく、ネジをまかねばならず、落とすとたいてい修理。
だからこそ高価である点に注目しましょう。私も好きなプレゲなんて天井知らずの価格です。
それは宝石のような天然資源でもなければ、イタリアのスーパーカーと呼ばれるジャンルで数秒で時速100キロを超える機能もありません。
はなはだ完全ではないけれども職人が作る製品です。
しかし、そこに価値を見出し、欲しいと思う人が一部にいて、中古品ですら売買されるのです。
それを持つことを「ステータス」だなんて思う人、身につけている人を「ステータスのある人」と思う人がいるということです。
職人が作った時計だからというよりも、「一部の人がどう思うか?」が時計に価値をもたらしているといえます。
一部の人が価値を見出すものは、全員が価値を見出すものより高価なのです。
高価なブランドとはこういうものです。
自分のブランド
ブランドには伝説が必要だと書きました。
自分についての伝説とはなんでしょうか?
多くの同年代のおじさん、おばさんが勘違いするのは、自分が経験したことです。
これは伝説になりません。
わかりやすくするために
- 仕掛け人
- あの○○を作った
- 日本初の○○を始めた
などの枕詞をつけてみてください。
「大商社の部長だった仕掛け人」なんてなにを言っているかわかりませんね。
いくら自分が肩書をもっていた、(現地とはかかわらずさっぱり外国語は上達しなかったけど)海外赴任した、からスゴイと思っていても周囲の人はあなたの経験がスゴイとはすこしも思わないのです。
いまだにスチュワーデス、CAどころか、JALに勤めていました、ANAに勤めていました、がブランドだと考えている困ったおばさんは多数いますが、周囲はそう思っていません。大企業なだけに、そんな人はいくらでもいて希少性はありません。
ちなみに元CAはほとんどが、ホステスかエチケット教室をやるのは頭が悪すぎて密かに笑えます。
なにが売り物になるかを考える時は、アウトプットしたものについてのみ考えましょう。
繰り返しますが、それは一部の潜在顧客にのみアピールするものでいいのです。
生活必需品じゃないものとは
消費者のみんながいう
「今日はちょっと贅沢をして」
というのは、機能以外にもおカネをかけてみる、ということではないでしょうか。
これをエンターテイメントといわなければなんでしょうか?一年以上前にエンターテイメント産業という記事を書いたのですが、その思いはますます強くなっています。
「なんでもお宝鑑定団」がいい例で、あそこに出てくるものを、あなたは欲しいと思うでしょうか?
あなたの価値観と異なり、業者がつける値段は「これくらいの価格で買う人はいる」ということです。
(しばしば骨董品で真贋論争が巻き起こりますが、私はくだらない議論だと思います。真実よりもみんなが本物だと思えるならば、本物なんでしょう。鑑定の結果、偽物とされた中に本物があった例すらありますから。
これもまたエンターテイメントなんだと思います。)
わかりやすくまとめると、
「生活に必要であるものほど、需要は強く、市場は大きい。
しかし、そこは大規模なビジネスをし、単価を下げる必要がある。
したがって大企業の領分であり、スタートアップが手を出す分野ではない。
生活に必要でない、一部の人が価値を見出すものほど高価なビジネスが可能である。
そしてその価値はリアリティのあるストーリー(エンターテイメント)で決まる」
ということです。
起業のリスク
起業とはリスクが高いと誰もが思います。
ならば、高いリターンを狙わねばならないことは自明です。
ところが多くの人はリスクを下げようとして、「月並なビジネス」を他人と同じようにやろうとします。
- 定年のおじさんのコンサルタント
- 脱サラリーマンの会計士、税理士、公的書士
- 女性がやるアロマ、マッサージ、サロン
などなどいくらでもありますが、
サラリーマン時代に経験した「そこそこやれば、そこそこ評価される」という価値観から抜け出ていません。
ところがビジネスユニットとして、そこそこの能力をそこそこ宣伝してもお客さんは来ません。ゼロです。
無意識のうちにもつ「そこそこやってるから、そこそこお客さんは来るだろう」という期待は誤りです。
お客さんが「なぜあなたに発注しなきゃいけないか」の理由がはっきりしていて、それが楽しそうでなければなりません。
上の例で見てきたとおり「なきゃいけない機能」だと大手のものを買ったほうが安いし、安心できるのです。
似たような零細企業が横並びでやっていても、お客さんは均等に分散しません。
そこそこやっても、あなたの分け前なぞどこにもありません。
「マーケティング」という言葉ではあやふやで、「自分のストーリーの編集能力」が必要だと言ったほうが正確だと思います。
自分の市場(ターゲット)
多くの人が世の中の認識において、間違っていることがあります。
テレビでは、私達がまったく知らない人や地域の(ほとんどがトラブル)出来事を伝えてきます。
まったく知らない人が出演して、エンターテイメントを「芸として」提供します。
何百回テレビで見ていようが、その人の素顔はわかりません。
とくにタレントは、以前書きましたが、性格は事務所の要求で作られたものが多いのです。
時々語られますよね「元ヤンキーを連れてきてタレントに仕立て上げた」なんて。
一例ですが、フジモンと結婚したころの木下優樹菜はトップのママタレでした。
世間の大半の人はセレブと勘違いするように騙されていたわけです。
実態はいつまでたってもヤンキーだったのです。
多くの人はまんまと露出度と作り出されたイメージに騙され「芸能人の誰それをよく知っている」とか「世の中の誰にでも、自分はアクセス可能である」と誤解させられています。
このように人々はテレビやインターネットにより、人との距離感が狂っています。
よく考えてみてください。
多くの人は反社会勢力に属する人間と無縁だと思います。名前すら知らない。
多くの人は、悪名高いですが、マグロ遠洋漁業にたずさわっている人と無縁だと思います。
多くの人は企業経営者を知らないと思います。
できるだけ多くの人にあてはまる例を書きましたが、私個人はさらに
飲食関係で働いている知人はいません。
宮大工さんを知りません。
鉄工所で働いている人を知りません。
などなど知り合いたいけれども知らない人がたくさんいます。
かように世の中は知り合う人が限られていることに気づいてください。
自分の起業において「マーケット」などという抽象論を持ち出しても意味がないのです。
自分が現実に到達できる人たちだけが、自分のマーケットです。
それは、あなたと似たような特性をもった人々なのです。
そういう人たちを満足させるビジネスモデルを考えるべきです。
たとえば所得と考え方には一定の因果関係があります。
ですから、いきなり会ったこともない富裕層目当てのビジネスを作ろうとしてもピント外れで、誰も呼べないで終わりです。
余談ですが、トヨタがレクサスを作る時に「ホントウの贅沢とはなにか?」を理解するために、開発チームもいろいろ贅沢をしてみたそうです
それこそが単なる車からプレミアムな車への進化なのですが、いまだにベンツやロールスロイスには勝てないようです。
トヨタのサラリーマンがそこに気づいたのか、CEOの豊田章男さんが示唆したのかはわかりませんが、違う世界を理解するとはこのように容易ではないのです。
まとめます。
これらはとりもなおさず、自分が人生の上で経験したよく知っている分野について、自分の周囲の知っている潜在的顧客にわかりやすいストーリーを語れるか、ということが起業のカギとなるということです。
起業のビジネスモデルを考える時に、大企業がビジネスを継続するために編み出した手法を本などで学んで、援用してもいい結果(売上)は出ません。
ほとんどのサラリーマンが起業に失敗するのは、すでにビジネスモデルを打ち立ててしまった企業内でのかぎられた知識しか知らないで、ビジネス全体を考えることを知らないまま、起業というジャンルに踏み出すからです。
そもそもかけられる金額が会社と駆け出しの個人では二桁違うのに、いまだにサラリーマン時代が忘れられないと借金までしてみたりします。
保身は最悪の選択なのに、サラリーマンは保身のためにフランチャイズなどに手を出します。
フランチャイズに手を出してもビジネスリスクはまったく減らないことに気づいてください。
セブンイレブンのように一部上場のくせにフランチャイズが出店してビジネスリスクを克服して儲かり始めると、近隣に直営店を出したりしてビジネスを奪うというえげつないフランチャイズ組織もあるのです。(日経ビジネスやまとめ)
まぁ、儲け話にわずかな出資で乗っかろうというほうも甘いのです。
ことビジネスという分野では学歴も過去の企業内での経験も関係ありません。変化の激しい時代ですから、過去の経験すらアテになりません。
新コロナウィルスによる世の中の騒ぎを誰が2020年の1月に予想しえたでしょうか?過去の経験からわかったでしょうか?
なにで起業するかを決める時は、予断を排して自分の周囲をよく見ましょう。
むしろあなたが女子供と思っている人々が感じているような肌感覚から出発しないと、よいビジネスの種は見つからないでしょう。