ちょっと暇ができたので、一人で映画を見に行きました。
ランボーシリーズはすべて見ているんじゃないかな。そんなにシルベスター・スタローンのファンというわけじゃないけど、ランボーのシリーズっていつも哀愁が漂うんで目が話せないんですよ。
今回も私の胸を打ったのは義理の娘を救出したけれど、車中で亡くなってしまった時
「どうして俺じゃないんだ?」
というところでした。
第一作目からジョン・ランボーは”死に場所を探しているヒーロー”のように見えます。
戦争、とくにランボーのようにゲリラ戦の専門家(元グリーンベレーという設定)をしながら戦い、敵に捕まり拷問を受けた経験がある人のPTSDって、私には到底想像もできません。
俺はちょっとでも痛かったら、ペラペラしゃべって殺されるパターンだな。
日本はゲリラ戦などの専門家(レンジャーなど)の人でPTSDになった人は表に出ませんが(自衛隊のアフガン派遣では相当に出たようです。)ベトナム戦争後のアメリカではたくさんおられたようですし、運の悪い人は5,6個の戦争を体験してしまったようです。
キツいですよね。
ランボーの2作目が”First Blood”だったので今回の”Last Blood”最終作なのかもしれません。
シルベスター・スタローンも73歳なんだそうですが、、、
まぁ、信じられん筋肉です。
俺も見習わなければ。
そして、今回はアメリカの映画評論を見ていると物議を醸し出すほどの人殺しのオンパレード。
ランボーさん、準備から戦闘まで本当にプロ。
でも、精神的にぶっ壊れているランボーは最後に敵のボスにえぐーいことをします。
(私は映画館でも下むいちゃいました)
そして、敵を殲滅し終わった後、自らも重傷を負ったランボーは自宅のロッキングチェアに座り、全編に渡る孤独感を独白します。
どこに行っても居場所はなく、見つけたと思ったら仲間、家族は死んでいくということです。
ちょっと泣けました。
具体的なセリフをあげたいんですが、まだ、スクリプトが見つかりません。
その後、ランボーシリーズの切り貼りが回想録のように流れます。
これがいろんな議論の対象になっていますが、最後にランボーが馬で出かけるシーンがあるので、やはりランボーは生き延びたのだろう、と言われています。
どれかの記事に書きましたが、私もそんなに先が長いわけじゃないです。
73歳のシルベスター・スタローンが演じるランボーやダニエル・クレイグが演じる007のシニア(老人)としての役回りは考えさせられます。
「この道〇〇十年」とか長い間やったことを誇る人が多いですが、私はそんなことは価値がないと思っています。
たとえば、今、注目の将棋の藤井翔太くんなんて18歳で7段ですよね。年上で奨励会で25歳になってもプロにすらなれない人が大量にいるわけですよね。(漫画「リボーンの棋士」情報だけど)
ランボーシリーズしかり、007シリーズしかり、映画で描き出される彼らは「経験による知恵と若者の意見を取り入れることで生き延びている」と考えていいのではないでしょうか。
映画って、やはりストーリーはよく考えられていて、見た後、いろいろ考えさせられます。