雑感(日記)

受験を勝ち抜くために父親がやること

というタイトルで書いてみる。

しばしば夕方、某有名塾の前を通りかかると多くの若い親が小学生の子供が出て来るのを待っている。ほんとうに無意味だと思う。

少なくとも、私も大学を出、うちには東大出た子供もいる。
それゆえこういうテーマでなにかを書いても許されるだろう。

父親はなにをすればいいのか?迷っている若いお父さんにいくつか参考になるであろうことを書いておく。

小学校のお受験はさせてはならない

うちの子どもたちは幼稚園、小学校は近所に通った。

これは私の意図があった。
およそ受験の基本は問題文を読んで理解することから始まる。
「AI vs. 教科書が読めない子供」という本にあるとおり、実は最近の子供の読解力はすごく落ちている。

なぜ読解力が落ちているか?
かんたんである、勉強のしすぎ。

考えてみてほしい。「太郎くんは次郎くんが三郎くんに自分の悪口をいっていることを知り、悲しくなりました」という文があって、誰が悲しくなったのか、悲しくなった理由はなんなのか、って自分が経験した体験がないかぎり、ぱっとわからない。

世の中の受験をしたことがない愚かな母親はなんでも塾で教えてくれると思っているらしい。

塾には机と黒板しかないのに。

人間の感情の発露や人間の間で起きがちなトラブルなんか教えてくれるわけない。
そんなもの教えていたら、外形的には虐待だろう。だから友達と一見無駄な時間を過ごすことにこそ意味がある。

旅行に出て朝日が上がる寸前は周囲は青く見えるとか、滝が落ちるところは水流で、硬い岩でも何万年の時間をかけると滝壺ができてしまうなんてことを見て、触って知っているのか、本や動画だけで学んでいるのかではまったく違う。

親とピクニックに行って広い公園で遊びました、とかの体験は必須だ。

受験の問題は人なら当然体験しているであろうことが暗黙の前提なのだ。リアルワールドは文章という筆者が切り出した観点だけでは及びもつかない。だから「百聞は一見にしかず」なのだ。

それを常識ということもある。
基本的な体験をし「一見」の積み重ねをしないで、子供のころから塾通いさせて遊ばせないとロクな結果は出せない。

原体験(現実の体験)を持たない子供は絶対に成績は伸びない。

それを提供できるのは父親なんだよ。

たとえば我が家はご存知のようにパソコンや電子機器にあふれている。IOT, ホームオートメーション、すべて試行されている。そんな家で「情報」学科なんてバカみたいな授業という判断にならざるをえない。学校の数年先の環境なんだから。
人によって違うけど、父親ってなにかそういうものを提供できるだろう。

お勉強ができるのであれば、東大への道は小学校の高学年からのスタートで十分であった。

子供を追い詰めない

子供が小さいうちにはなかなか理解できないが、子供は将来、必ず大人になる。そしてあなたは年寄りになる。

この簡単な事実がわかっていない親が多すぎる。

ここ数十年の変化を見てみよう。

多くの誰もが「一流企業、入れば一生安泰!」と思っていた企業が潰れた。ダイエー、サンヨー、キリがないのでここでも見てください。
いまだに大学卒業するくらいになっても金融機関がいいとか考えている愚かな子供が多い。いったい親はなにを教えてきたのか。
その企業のビジネスモデルくらい考えて就職を議論しろよ。

いい大学出て、いい企業に入れば大丈夫というビジネスなんぞまるでわかっていない稼げない母親が多すぎる。

銀行入って支店の店先の掃除してりゃ、世話ない。

公務員が安泰?官僚養成所のはずだった東大法学部の優秀な学生はみんな安月給を避けて外資系や海外に出ていっていることもしらないのだろう。

どこかで小耳に挟んだ信頼性の低い古い情報を、いつまで信奉しているのだろうか。子どもの一生がかかってるんだから、もっと真剣に取材してみてはどうなのか。
いつまで仕事じゃなく、企業しか理解できないのか?
Oracleに務めたら売上数えている事務員もデータベースのことが理解できるとでも思っているのだろうか。スペシャリストと事務員と同じ給料だと思っているのだろうか。
こういう企業と仕事と給料については、世の中の多くの母親の無知ぶりは聞くに値しない。

下手をすると世の中が見えていない父親までそんな愚かなことを信じている。

また、女性の多くは目先の出来事が人生すべてだと考えてしまいがちで、テストの成績が一回悪いとその子供が一生うだつのあがらない人間だと絶望し、怒り、嘆く。

それを「子供のため」と思い混んでいるから始末が悪い。
本当は自分のプライドのためだ。

これが度をすぎると、子供は家を早くに出ていく。
いくら母親が血を分けて産んだ子供だと思っていても、子供はそんなこと思っていない。気づいたら、この世にいたのである。
ガミガミ吠える目先しか見ていない浅ましい女に嫌気がさして出ていくことは、人なら当然だ。

そして世界は広く、いろんな生き方ができる。

人として重要なことは、なにができないかを数え上げることでなく、なにができるかを数え上げることだ。

しばしば愚かな親は「せめて人並みに」という。弱点を減らしてすべて人並みであることを目指しているようでは人生で勝てない。
尖った能力を伸ばさない限り、勝てない。尖った能力をもちあうことで人間社会は進むようにできている。
なにも尖った能力のない人間は後ろからついていって残飯を漁るしかないように世の中はできている。

これをわかりやすい言葉に置き換えるならば「付加価値をつけられない人間に払うカネはない」ということだ。

例えば「せめて人並みに」と低レベルの大学に行くくらいならば、能力を身につける職人の親方になったほうが生涯賃金は多い。あなたが知らないだけだ。しかも職人はAIなんか関係ない。

AIはスーツを着ていても低レベルの仕事しかしていない人間を職場から追い出すツールだ。俺は仕事(作業)ができると自惚れているサラリーマンこそAIの格好の的だ。
AIはどこかの誰かの尖った能力(ベストプラクティス)を再現するツールだから。

たいした能力もないのに「真面目にがんばります」では24時間365日稼働するAIの前ではタワゴトにもならない。
いくら仕事(作業)ができるつもりでも休む必要のないAIに仕事はもっていかれる。

とっくの昔に「真面目にがんばる」ことはウリにはならなくなっているのだ。
「真面目にがんばります」と言う人に高い給料の仕事はない。「一生懸命やりますから仕事を教えてください」なんていわれて教えるバカはいない。
専門の基礎知識なしに覚えられる仕事なんてたかが知れている。

父親のあなたの仕事は本当に作業でなくて、仕事だろうか?
人間がやる「仕事」は答えがないものしかない。例えば会社の利益をあげる、ってことは答えがない。それを見つけることは「仕事」。決まったことをやっているのは作業であって仕事ではない。いずれAIに奪われる。

朝、通勤時に手ぶらだったりスポーツ新聞だったりスマホのゲームしか見ていないサラリーマンは用無し予備軍だ。

子供に知識の詰め込みだけをしていないだろうか。知識があってその上で考えるというハードなことができなきゃこれからは稼げない。受験にも勝てない。

しかしながら、少なくとも今の時点でわかりきっている事実がある。
今の子供が大人になったときは、少子化で日本の多くの地では地方公共団体は破綻する。
税金を払う人間がいなくなるから。
夕張市などは借金を返す前に、住んでいる人がいなくなり必ず破綻する。

目に見えないことが現実化する前に動けるかどうかで、人生は変わる。
論理的に明らかになり、いつ起きるかがわかってからでも動くことは遅くはない。
そのためには日本で軽んじられている知性が必要なのだ。

日本には移民を入れることは不可能(日本人が日本語以外を学ぼうとしない。世界標準にあわせない。無駄な品質を要求する。呼び寄せられるお金をもっていない)なため、子供達の職業選択の自由度は高い。

あなたの今の価値観は「少子化=国民の減少する国」でこれから劇的に変わっていくことだろう。

それゆえ子供へ教える価値観については、もっと謙虚になるべきではないだろうか。

どんなことをしても若いというだけで仕事はある国になるのだから。

いかなる企業も長期的には若者なしでは消え去るしかない。

ただ、いくら稼ぐかは別の話しだ

 

にもかかわらず、子供時代の20年足らずで子供との人間関係を壊してしまっていいのか?

受験に失敗したって子供の生き方を救うのが父親のしごとではないのだろうか?

少なくとも私は、「受験に失敗しても一向に構わない。君の生きていく方法は一緒に考える」と決して成績で見放すようなことをしたことはない。
もともと私がそんなにえらそーにいえるような成績を取ってはいないのだから。

努力は誰でもできるなんて嘘

我が家の東大生の大学受験の奮闘を見て思ったことがある。

「努力できることも才能」

努力は誰でもできるなんて嘘だね。そういうことを言う人間はたいしたレベルの努力をしたことがないか、スポーツのような単純化されたルールのみで争う競技で肉体的苦痛に強かった人だ。
誰でもとおるような資格試験とおったからって、それは努力というほどのものじゃない。
東大受験生の努力はレベルが違う。

電車の中で使いもしない英語能力を伸ばそうと、もっとも費用のかからない安いTOEIC本すら読破できない人間、ITに詳しくなりたいと専門書を読み始めて二進論理で挫折するような人間が「努力は誰でもできる」なんてほざく資格はない。

あえて言わせてもらうが、英語もITもスキルとして仕事に使っている私からすると、どちらも習熟するには普通の人では10年以上かかる分野だ。しかもどちらかについて才能がなければ、プロとして仕事をすることは困難だ。
努力というものを世の中の人は安易に考えていないだろうか。

だから努力に無限の未来を期待してしまって、現実を無視した夢を子供に押し付けているのではないか。

そういえば、周囲にいるママ友とかいう無責任な品のない人の言うことなんて本当にどーでもいい。
ウチの子供達の経験からすると頭の悪い連中は、やっかむか、バカにするかどちらかしかしないし、そんな連中と付き合って時間を無駄に消費していいことは、本当にこれっぽっちもない。
どうせ相手は他人に触れ回るゴシップネタを探しているだけ。(そういうバカ親の子供はロクな結果にならないのも特徴)

こと子供の教育に関しては、周囲の人間(ふくむ塾の先生)を信じてはならない。自分達で判断せよ。
進学塾でリスクの高い難関校にチャレンジさせようとする先生と議論して叩き潰したことがある。なぜならば、彼らは塾の進学成績をあげたいがために、子供のためと称して難関校にチャレンジさせようとする。
親としては子供が進学後、なにをしたいかで決める。偏差値が高いからいいわけじゃない。そんなところに無理してまぐれで入学して、ついてけず、その後、劣等生なんていくらでもいる。

ついでだが、進学学習塾というのはよくできた詐欺産業だ。
成績のいい子供で進学実績をあげないと生徒が集まらないから、成績のいい子供は普通、無料。
東大入った子は、受験シーズンにほとんど塾の授業料は払っていない。
塾の授業料を払っている子どもたちは実はなにも期待されていないお客なのだ。

塾は成績を測定はするが、成績をあげる授業はしない。いやたいしてできない。
林先生を家庭教師につけても、本人が学ぼうとしない限り、難関校にチャレンジできる成績にはならない。

先程指摘した莫大な努力のみが成績をあげる。
もしくは写真的な記憶に秀でた頭のいい子。彼らは天才。

あなたはそういう環境で、子供の成績を見てどう子供にガイドする? あなたの人生での知識と経験が問われる問題だ。

子供を一人の人間として考える

私の子供達はすでに大人になった。人間として扱ってきたからこそ、今も良好な関係を築けていると思う。

子供が家内のお腹に宿った時、私は「我が家を選んでくれてありがとう」という感謝しかなかった。
「子供を作る」とかいう言い方は傲慢だ。子供の魂は親の環境を選んでいる。
一人の人間である以上、神と子供の魂から預かっているものだ。
殺したり傷害を与えるとあなたが逮捕される理由は、子供は立派な国民でもあるからだ。

私は子どもを決して自分のものだと考えたことはない。
子供はあなた方のものではないと私は思う。

にもかかわらず、なぜ目先の不完全さだけに注目し、自分の所有物のように考える愚かな人間が多いのだろうか。
人類は太古から不完全な赤ん坊を守り、育て、次世代にバトンを渡してきた。
私たちはその長い鎖の一部に過ぎない。
子どもを養っているからエライと思っているのであれば、先祖からの贈り物を自分ひとりの功績にしようとしているということだ。
そして世の中が進歩しているということは、子供たちは私たちより賢い。

「中学受験に失敗したから、高校受験させない」とか「◯◯大学に入学するのが義務」とかトンデモなくフェアでない取引を子供に押し付けている愚かな親をしばしば見かける。
医者一族だから、公認会計士一族だから、後を継げって、お宅の家系は呪術師ですか?と聞きたくなる。(呪術師は多くの場合、血統で霊を扱えるかどうか決まる)
学校での試験の成績が悪いと父親の前で土下座しなきゃいけない母親と息子という家庭はリアルにあった。(そういうところに限って父親の職業は使えない公務員ww)
そういうことをのうのうと言うお前の息子・娘は競走馬なのか?

逆に「仕事が忙しいから」と家庭内のすべての問題から逃げる父親よ、おまえはなんのために生きているのか?

その言い訳は日本という先進国でもっとも生産性の悪い国でしかつうじない、愚かな言い訳だと知っているのかな?
なぜならば中国をふくめアジア圏でも(のぞく韓国)、ヨーロッパでも南北アメリカでも仕事は家族を養う手段であって、人生は家族と共に過ごすものだと、明確に理解している。
だから、「仕事が忙しい」という言い訳はほとんど通用しない。通用するのは本当のビジネスマン=企業のオーナーくらいだ。

普通は「なぜ、そんな家庭も顧みられないような仕事をしているのか?」と質問される。そこで給料も安いとなると、おそらく聞いた相手は苦笑いと共にその話題を避けるだろう。

そう、要するに「こいつはバカか変態だ」と思われるのだ。

家庭から逃げている父親はなにも考えていない。人生で子供から手痛い復讐を受けるだろう。その時「仕事が忙しかったから」は言い訳にならない。

子供の前で自分の価値観を押し付けたり、仕事にかこつけて参加することから逃げたり、自分にそんなに自信があるのなら、なぜそんなに稼ぎが少ないのか?なぜいまだにサラリーマンなのか?なぜ税金で生きる公務員なんぞやっているのか?なにがあなたの人生のあり方なのか?
子供にえらそーに説教する前に自分の生き方をよく見つめたほうがいい。人に誇れる人生を歩んでいる人間なんてそう多くはない。

自分が出来なかったことを子供に代行させようということは、本当に浅ましい行為だ。
子供にもっと敬意をもつべきだと私は思う。

そうすれば子供もあなたに敬意をもって接するだろう。
そう世間と同じなのだ。

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