サラリーマンのふり

「マーケティング」は免罪符ではない

「マーケティング」という言葉がいかにサラリーマンにとって危険で、起業家にとって難しいかを書いておきます。

言葉の一応な定義はWikipediaでも見たらいいと思います。

しかし、それは大学で考えられた空論で本質は「作っちゃったものを、どうやって売りつけるか」ということです。

コトラーという「マーケティングの大家」の功績で、マーケティングとは企業の活動すべてに関係することになっています。

その過程をピックアップして「4つのP」といいますね。見てみましょう。

  • Product(製品):売り物の商品・サービス
  • Price(価格):値段・価格体系
  • Promotion(販促):売り方
  • Placement(流通):販路

これはこれで否定もしません。そうですね、としかいいようがありません。
ただ、ここには「収支」という概念がすっぽり抜け落ちていることに注意してください。

だから、マーケティングという言葉は危険なのです。

実際に数多くのマーケティング部門にいる人、社会人大学でマーケティングを学ぶ人にあったことがありますが、マーケティングが企業全体の活動であるという理屈と、成功のケーススタディを学ぶと、なんでもできる気がして酔っています。

それはそうです。ビジネスという金儲けの現場で収支を無視すればなんでもできますわね。

一方で、マーケティングにたずさわる人々は思考が停止します。

たとえば、顧客の欲望のフェーズを次のようにとらえる、なんていうバカみたいな理論を信じています。

  1. Attention(注意)
  2. Interest(関心)
  3. Desire(欲求)
  4. Memory(記憶)
  5. Action(行動)

この理論がなぜバカかというと、自分に置き換えてみたらくだらなさがわかります。
とくに問題なのが、3以降です。ものが余っている時代に欲求がわきおこるなんてありません。

私がAmazonで本を買う時は2からいきなり5です。それがいいかどうかなんて調べないです。
放っておくと忘れてしまいます。
読んでダメならポイですし、数ページ得るところがあればマル。

もちろんすべての商品の買われ方がそうだといいません。

強調していることは、「考えて法則を使っているか?」です。

残念ながらマーケティングにかかわっている人に限って、自分を守ってくれるマーケティング用語を振り回すだけで収支という責任を回避するのです。

ぶっちゃけ広告代理店とやるイベントや文化祭的お祭り騒ぎが好きなだけで、個人的欲望を正当化するためのマーケティング理論ではないでしょうか。

そして売れない結果が出ると、すぐに企業として一番やってはいけない「値下げ」をする。

なぜかって?企業活動は稼ぐためにやってるんですよ。値下げは最終手段です。
そうせざるを得ないということは、あらゆるマーケティング活動は失敗ということです。

ところがマーケティングにたずさわるサラリーマンはそんな自覚もない。
今日も平気でおちゃらける。

お勤めの会社でマーケティング部門を冷静な目で見てください。
収支という観点からすると、単なる穀潰しであることが多いです。
上記の洞察で彼らのまぬけな行動の説明がつくと思います。

もし、あなたがマーケティング部門ならば周囲はともかく自分のキャリアのために収支を考えてみてください。
それでこそ、真の「マーケッター(ふくむ営業活動)」になれますわね。

おそらくマーケティングをもっとも知っている有名人は所ジョージとジャパネットタカタだと思います。

所ジョージは売れないフォークシンガーだったのに、いつしか人生がビジネスになっています。あれは凄い。
手に触れるものが金に変わるのです。ミダス王みたいなもんです。

ジャパネットタカタはおそらく唯一、テレビに広告出して黒字じゃないでしょうか。

どちらもオーナーであることが鍵ですね。だから真剣に考えて行動するのです。

 

さて、起業家にとってマーケティングってどう考えればいいのでしょうか?

話をひっくり返すようですが、残念ながら収支を考えずに認知度をあげるためにお金をつっこむしかないです。

(もちろん、ビジネスユーザー向けをやるなら話は違います)

どうやって名前を知ってもらうかのみ考えるべきでしょう。それもできるだけ安く。

買う買わないの話はそれからです。

関連記事

  1. 木村岳史さんのCIO議論を読んで

  2. ドラえもんのダークサイド

  3. ビジネスの常識を知らない人が多い

  4. 若くても、年をとっても、レールを外れたと思う時

  5. はずれる予言をいう勇気

  6. 思考停止の暗記

  7. 男の嫉妬

  8. ホリエモンの起業論