知には形式知と暗黙知がある。
この言葉すらしらない人が増えた。
知性というものが軽んじられるようになったのは、大前研一氏の話が本当なら愚民化教育の一環だったと思う。
形式知とは、明文化され本に書かれた知識である。学生は高校までは形式知しか知らない。
暗黙知の片鱗をクラブ活動で見るかもしれない。
教科書を覚え、試験には覚えたかどうかが出る。
これで学問を学んだ気になってはいけない。
高等学校というのは学問を教えていないのだ。
少し血なまぐさい余談を書いておく。書かざるをえない。
今日は高校の同窓会をやっているらしく、facebookにうるさいくらい写真が載る。
私は生涯、同窓会に顔をだすつもりはない。なぜならば、私の出た福岡県立高校は暴力学校だったからだ。体育教師の暴力が吹き荒れ、他の先生は見て見ぬふりをするか、そういう先生も独自のリンチの方法を編み出していた。竹刀の一部、成績表の角などクラヴマガ並みに日常品を凶器として使っていた。体育教師の部屋(これがまた職員室と別なのだ)に呼ばれるということは、体育教師からのリンチを意味していた。体罰に「チチカップ」などの名称をつけ得意になった体育教師がいた。これが福岡県立高校である。
体罰が愛の証なんてのは大嘘である。逆らえば感情的に殴りつづけ、成績がさがれば「本人の問題」と突き放していたのだから。すべて生徒が悪いのであり、教師に反省は皆無だった。大人になって考えなおしても吐き気がするようなご都合主義である。
殴られないように体育教師にウケのいい、野球部、応援団、バスケット部、ラクビー部に所属し羽を伸ばしていた人も多くいた。応援団の威を借り、新入生を応援練習で虐めてよろこんでいるサディストの変態のN君もいた。
高校のころから良心を売り飛ばすことを覚えた人間は、一生、自らに恥じるということは知らないのだろうと思う。その結果、どういう大人になったのだろうか?
田舎ならそれですむのだろう。が、東京、世界のビジネスの世界では暴力による強制も、わかりやすいこびへつらいも軽蔑の対象にしかならない。
暴力をふるっていた人たち(恩師とはまったく思わない、トンデモナイ奴らである。)と酒を酌み交わす奴らは、若いころから己の力で生きていけず、人生を半分以上過ぎても媚びへつらうことしか知らない、ダメ人間である。私は絶対に許さない。
そういう人たちを呼び集めて、はやくも50歳代で思い出話の宴会をしたがるのは、異業種交流会と同じようなコネ探しのさもしい臭いを感じる。20代、30代、40代、なにをしてきたのか?
大学でもいろいろだと思う。高校で勉強だけしかしなかった人もいるだろう。
私はどうかというと、もう亡くなられたが大川勉教授につき、計量経済の初歩を学ぶことになった。
そこで自分の生涯が変わる体験を何度もした。
思い出すままに挙げてみる。
- 当時、大阪市立大学は阪大のコンピューターをタイムシェアリングで借りていた。学部生の我々がバグだらけのプログラムを走らせて無限ループに陥ると、あっという間に課金がその月をはみ出てしまった。それをよし、とされていたのである。
- 先生は大学に来られる前に、一時、日商岩井におられた。
そのせいか、学問のための学問をひどく嫌っておられた。
勉強の成果が、世の中のなにをよくする、したいのか、必ず聞かれた。 - 当たり前だが教授室には大量に本があった。先生は「とにかく関係ある本をたくさん読みなさい。わからなくていいから読みなさい。」とおっしゃった。
- 最初に覚えさせられたコンピューター言語はFORTRANであり、統計ツールSPSSであった。
- 研究の都合上、財務諸表を数十社、過去数年を読みあさることになり、財務諸表を読めるのは当たり前になっていた。
後年、IBMでエンジニアを始めた時、実はこの驚きの体験のいくつが決定的に重要になったのだ。
どういうことが起きたか。
新入社員研修はモチロン形式知の世界であり、その後、職場に配属される。
たまたま私が配属されたのは、IBM製品を金融機関(勘定系といえば分かる人には分かるか。)で動作させるためのテストをしている部であった。
夜中に大型機を何台も専有し、莫大なCPUとディスク資源を使って、当時の銀行の本番のシミュレーションをしながら、製品テストする。
トラブルが起きれば、夜中だから誰の力も借りれずにひとりでなんとかする。
そこでメインフレームのオペレーティングシステムの作成、チューニング、VMの作成、運用、OSをだます高度なプログラミング能力(ほとんどハッキングの世界)、テスト方法の決定、バグの修正パッチ作成を一人でやれるまで成長した。
手前味噌だが、あれだけの分野をひとりでやっていたのは、日本IBMでも私が最初で最後ではないだろうか。
日本IBMを私が去って数十年になるが、ほんの数年前に、まだ私のテスト方法論とそのツールを使っていると聞いた。
もちろん後輩には厳しくあたり、とっても嫌われていた。
だって、実質、3K職場だったんだもん。(苦労して、嫌われ、(いつ飛ばされるかわからない)危険な間接部門)
部門を移転した時、マシンルームには「怖い高尾さんはもういない」というポスターがあったそうな。
名誉なことだ。
今の世の中はもっと厳しくなっていて、職場でダラダラしていた奴らはたいした評価もされず、当時の私の懸念が証明され、喜ばしい限りである。
大学のころ教授に習った、「わからなくても読み続ける」という方法がいかに合理的か思い知った。
いまだに漠然と感じることがなんなのかは、説明できない。言葉を探せば暗黙知となった次第。
大学の恩師、大川先生がいなければ、今の私は絶対にいなかった。
数年前、お亡くなりになったことを知り、ひとり泣いた。
師を失うということが、これほど悲しいこととは知らなかった。
いい年したおっさんでも心に柔らかいところがあるのだ。
人間には個別にはわからなくても、その領域を100日間程度やっているとおぼろげながら、全体が見える、という不思議な能力があるのは間違いない。
これは形式知の羅列ではなく、暗黙知の形成なのだと思う。むしろ暗黙知を作り上げ不足分を形式知で補っていく、というべきだろうか。
その後、システムインテグレーションなどをやる時も、システム化する業務に関するものをなんでもいいので片っ端から読むことを続けてみた。100日程度やっていると、なんとなくわかる。
私でもできるのだから、もっと優れたエンジニアはその期間が50日かも知れない。
近頃、エンジニアやプロジェクトマネージャの学習の方法論がどうのこうのといっているが、そういう形式知からのアプローチで、「知識を自分のモノにする」ことができるのか、とても疑問だ。
なんとも奇妙な方法だが、その後、多くの人が似たようなことをやっていることを知った。
私など足元にも及ばないが立花隆さんが同様に、特定分野を調べる時に本を本棚のメートル単位で買う、とおっしゃっていた。
そのとおりである。
そうやって覚えた知識は半分、知恵となっているので強い。
だらーっと裾野広く見ているので、知らなかったことにも対応しやすいのだ。
今でもそうだ。新しい技術を覚えようとした時、根を詰めない。だらだらといつまでもやっている。自分の中の能力を信じているからだ。
そして、プロとはそれくらい勉強をする。
理系の大学をチャラチャラと4年過ごして、どれだけ勉強に時間を使ったかは知らないが、社会人のプロエンジニアは2年でその時間を取り戻すだろう。
だから、エンジニアで30歳になっても40歳になっても大学時代の文系、理系にこだわっている人間は自分が無能であることを告白しているようなものだと思う。
もし、あなたが大きな分野をやらざるを得なくなったら、根を詰めずに枝葉にこだわらず、人間の能力を信じて無意味に見える勉強をやってみたらどうだろうか。