年配なのでたまに言われる。
この言葉は便利に使われる卑怯な言葉だと思う。親しい人が使うとぎっちり締める。
以下、俺が締める理由。
もともと「上から目線」という以上、対等か自分より下の立場のはずなのに、相手が無意味な威圧をかけてくる、ということだと思う。
ところが、どこでもいつでも使える便利である理由は、いきなり相手の人格を非難している言葉である。
真意は
「えらそうなお前の態度が(私は)気に入らない」
と言い出しているからだ。
ここで巧みに主語を省略することで
「えらそうなお前の態度が(世の中全員)気に入らない」
と一般化している。
同様のアプローチに「人のいうことを聞け」という言葉がある。これも本当は「俺のいうことを聞け」なんだが、たくみに一般化することで自分の意見といわないのである。
したがって、この言葉を言われたら、私はそこで議論ストップする。
なぜならば、話の腰を折るにもいいとこな手段だから。
仮に「態度が気に入らない」とする。それはセクハラ、パワハラと同じであり思うのは相手。だから、基本的に反論はできない。
あえて反論するなら「どこが」気に入らないのか、?>「上から目線」なのか。
大半の「上から目線」ユーザーは明確に答えられないのではないだろうか。
そして「上から目線」といいだした人は知識において、すべてを受け入れるチャンスを失う。
なにかを習う、アドバイスを受ける、新しい知識のありかを聞く、話・振る舞いのおかしい点を指摘される、というような、その人を肯定しない言動はすべて「上から目線」と言えるし、なぜそれを受け入れられないか自分でもわからないまま拒否してしまっている。
ここからわかることは「上から目線でモノを言うな!」と怒る人はもともと自分がたいして実力もないのに、ヘンなプライドがあり他人を見下しているから、そういうことに過敏である。だからスイッチが入り、そこから感情論になる。
いつも自分を省みる謙虚さがあるならば、「上から目線」とい非論理的な否定には逃げない。
というのも、しばしば対処法として、次のような言い方が推奨される。
・「私も人のことは言えないけれど」と枕をふる
・「私も以前はその方法でやってたんだけど」と枕をふる
・「申し訳ないんだけど」と枕をふる
・「と思うんだけど、どう」と疑問形にする
これらは否定されるとキレる人をよいしょしてケアするものである。
「上から目線」って言葉を自分がしばしば使っているのならば、疑問に思ったほうがいいと思う。
こういう本の対象なのかもしれない。
逆に自分が決して上から目線でいわない、っていう自信があるなら、あなたはなんの意見も見識も知識もない人ではないか?