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自炊をやってみて思うこと

本を購入して、読み終わると自炊(裁断機で本の背を切って、スキャナーでPDFにする行為)を行うのが習慣となった。

そういえば、自炊代行業者が訴えられているよな、と思い、記事を見ると人気作家の東野圭吾がこんなことを言っていたらしい。

「売ってないから盗むのか! こんな言い分は通らない。私は電子書籍が普及しても、こうした違法スキャン業者はなくならないと個人的に思っている」(東野氏)

ひどい言い分である。俺は買った本をスキャンし、紙の束はヤフオクに出すのも忍びないので古紙回収に新聞と一緒に出している。訴えられている業者は道具をレンタルしているだけである。

みなさん、短期的に考えることしかしないのでは、と思う。

俺のコレクションの中に「植物の神秘生活」という本がある。まだ売られているが、発売されたのは1987年。もう20年以上前である。俺が持っている本は紙が黄ばんできていた。あのままおいておいたら、ますますページの色は褪せ、背表紙の糊は朽ちてバラバラになったことだろう。

「大六壬占術」という本がある。1985年発行だが、もう絶版で古書店で3万数千円した。せどりする方に言っとくと、占いの専門書は値段がすぐに跳ね上がるので、見つけたら入手しておいたほうがいい。
これも、多少だが黄ばみが始まっていた。本を分解するのは、少しだけ躊躇したが、データにすると未来永劫なくならないのだ。

雑誌もそうである。10年前の雑誌の記事が復活するなんて、よほどの有名作家が亡くならない限り聞いたことがない。そのまま朽ちていく。

何百ページある本は数キログラムする。スキャンしてPDFにし、ipadに入れれば650グラムである。何百冊PDFにしても、650グラムのままである。しかも、書庫にとりに行く必要はない。

以前に書いたことを繰り返すが、売れなかった本は中継ぎから返本されたら、古紙再生に回り、溶解されるのだ。
モノとしての本が裁断されるのがイヤだっていうなら、最初に著者は売れ残った分を全部買えよ。
つーよりも、売った後のモノにまで意見をさしはさむなら、全部買って山奥に篭って後生大事にしてろ。お客に失礼だ。

作家さんは欲の皮をつっぱらせて自分の権利ばかりに夢中にならずに、本の読者としての自分を振り返ってはどうだろう?

ちなみにデータがなくなると悲しいので、RAID1ディスクと通常のPCのHDDとiPadにコピーを持っている。

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