サラリーマンのふり

経営を神殿に飾っておきたい人々

「経営」とは神殿にあり、MBAやコンサルティングファームにいた神官でないと触るべきでない、神聖不可侵であるという幻想。

日経ビジネスオンラインに「経営のプロが足りない」というマッチポンプ記事の連載がある。 なんでマッチポンプかというと、この連載書いているご本人が絵にかいたような旧態依然としたMBAを取り、コンサルティングファームにいた人で、「経営のプロ」を移籍させて金儲けするヘッドハンターが生業だから(笑)。

私は経営のプロというものが存在するとしたら、アメリカにあるようなスーパーラージエンタープライズカンパニーだと思う。GMとかIBMとかコカ・コーラとかマクドナルドとか。
世界のトップ10に入る会社って、トヨタ自動車とか日本郵政で各々、特殊事情があり、横からの「経営のプロ」は必要ない。大前健一みたいなスーパーコンサルタントの「企業参謀」は必要だろうけど。
すでにMBAの教官であった、大教授ミンツバーグは、「MBAが会社をほろぼす」(邦訳あり:日経BP社)という本まで書いておられる。

マッチポンプ記事を書いている人が「経営のプロ」がかかわって成功したと持ち上げている企業は東ハト、ダイエー、カネボウ、福助である。しかし、ここに神戸大学の先生の書いた論文があり、ダイエー、カネボウの再生方法についての不透明さと公的機関としての疑問を述べておられる。
梨下に冠をたださず、ということわざがあるが、企業再生において多くのファンドが暗躍し、「ハゲタカファンド」という言葉が巷で流行ったことを記憶されておられる方も多いだろう。ファンドがきちんと事業を育てた例など、むしろ稀である。会社を適当な理由つけて売ったり買ったり、マネーゲームしかしない。
実は産業再生機構にいた人々のその後を調べてみたことがある。ほとんどが、ファンドにいる。地道に企業を経営している人など私が調べた限りはいなかった。
日本でいう「経営のプロ」とは、金融機関とコンサルティングファームの村でお互いを紹介しあって業績そっちのけで高い給料をかすめとる、プロ市民と同類の意味でのプロということではないのだろうか?成功率は30%程度(それも本人の力ではないだろう)だとうそぶいていていいのか?残りの70%は給料ドロボウではないか。普通の社員のほうが、はるかに厳しい責任の取らされ方をする。

こんなことを書いているのは、10年前に知ったベンチャーキャピタルの中堅が、また俺の知っている会社の経営者の無知につけこんで、甘い汁を吸おうとしている、こともあるからである。

世の中には事業計画をきちんと作ったことのない、ベンチャー社長、経営企画、新規事業部部長などがゴロゴロしている。そういう人達は、有名なベンチャーのいい話しだけを鵜呑みにし、簡単に出資してくれる人がいて、簡単に成功できると信じている。事業はリスクの高い、泥臭いもんだということを知らないまま成長してしまっている。そこに「出資者を紹介します」とか「IPO目指しましょう」とか、絶対に無理なのに顧問料を掠め取りにくるファンドとかコンサルというのはいくらでもいるのだ。彼らからすると、不動産屋同様に、年に2件も騙せれば左団扇の生活なのである。

こんなご時世でも生き延びていられるくらい、騙されるヤツはいくらでもいるらしい。ハァ。。。

だから、こういう連中は「経営」を神殿に置いて、仲良し村を壊されたくないのである。

以前から再三書いているとおり、「経営」はバーのママも八百屋のおじさんも知っている。神殿に祀るようなものではない。とくにビジネスモデルが崩壊している場合、理論的な答えはない。
今の日本に必要なのは、新たな創業者だと思う。

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