サラリーマンのふり

無料の時代のビジネス


ようやく読了。頭の中のモヤモヤのひとつが晴れた。この本から、ひとつの例をあげる。
レコード会社やJASRACが「著作権、著作権」とオウムのように叫んでいるが、どうなるだろうか?

遠い昔、レコードもない時代は生演奏しかなく、「演奏者の組合」があり、ラジオなど多数が聞く番組の場合は高額を要求していたらしい。
しかし、無名の演奏者(今でいえば、インディーズか)は安い値段で細々と応じていた。レコードが出てきた時、演奏者の組合はラジオで鳴らす場合は当然、高額を要求していた。しかし、裁判で一般人が購入する場合とラジオ局が購入する場合で著しい差があるのは正義ではない、ということになり、安い価格に落ちていき、むしろ曲を知られることでレコードが売れるという新しいビジネスが注目された。

ここで大事なことは、「新しいビジネス」にシフトしていったということである。

今、CDの不正コピーが声高に悪事のようにいわれているが、中国やブラジルでは99%はいわゆる海賊版である。しかし、当の歌手とその周辺は喜んでいる。なぜならば、どんな僻地の貧しい地域にも自分達の歌声を届けるには、その方法しかないことを知っているからだ。つまり、CDはマーケティングツールに過ぎなくなっているのである。収入は、コンサートや周辺グッズで稼ぎ出すのである。そして、どんな僻地のファンも喜んでお金を払う。

自分がかかわっていない演奏の回数ごとに些細な金額を取ろうとする、マンガの主人公が鼻歌を歌うだけで、金を取る、といったことは、経済原理に即しておらず、いずれすたれることは明らかなのだ。今でこそ、日本でも洋楽をみんな聞くようになったが、洋楽に暗黒時代があったことを私は覚えている。ちょうど、「チャゲ&飛鳥」が全盛のころだったが、レンタルレコードを洋楽が禁止したのである。
その途端、日本の音楽のリスナーは洋楽を聴かなくなった。小室哲也が全盛期のころは、日本のミュージシャンしか存在しないかのようであった。洋楽マーケットが壊滅的になったため、レンタルは復活したのであった。

既存のビジネスで目先のお金を取ろうと他社を攻撃することは、「評判」や「知名度」といった簡単にお金に転換可能な(もちろん智恵がいる)資産を損ねていることに気づくべきなのだ、と「フリー」は指摘する。

フリーはビジネスになる、ということは大事なことだし、いいヒントをもらった。

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