映画「スカイ・クロラ」

スカイ・クロラ

スカイ・クロラという映画を見た。映画は押井守監督。原作をまったく読まないで感想を書くのもなんだかな、と思うが、見て以来、不思議な感想を抱き続けている。ネタバレかも知れないので、見ようと思っている人は以下は読まないでほしい。

どこか日本とイギリスに似た国で、戦争がショーとなって存在している。ふたつの会社が戦っているが、どちらも戦う人?はキルドレという、いつまでも子供で死なない人たち。ただ、戦争では死んでいく。

戦争で死ぬけれど、その脳?細胞は再生され、通常の記憶は失っているにもかかわらず、飛行機の操縦は記憶している。戦闘要員としてまた戦場へ戻ってくる。科学的におかしいと思うけれど、それはおいておいてシチュエーションはそんなところ。

だから、戻ってきたキルドレは以前誰であり、どういうことをしていたか、知っている人が周辺にいる。
知っている人たちの記憶と、新しく戻ってはきたけれど、自分が何者で、どこから来たか記憶のない人との間でなにが起きるか。

押井監督は、それをべったりした空虚な地上での日々の暮らしと、色鮮やかな3Dでの戦闘で描いた。そう、彼、彼女らは戦争をしている間には鮮やかな生を感じる。まるで死ぬ場所を探している武士のように。

この不思議な映画について、押井監督はこの映画で珍しく今の若者にいいたいことを描いたそうだ。

私は昨年の夏、55歳になりました。
映画監督としては、若くも、年寄りでもない。まだまだ、やりたいことは山ほどあるのですが、世間一般で言えば、壮年と言われる齢を生きている事を、自覚するようになりました。いつの間にか、周りが若いスタッフばかりになり、大人になったひとり娘と向き合うことが多くなった事が、その理由かもしれません。

今、映画監督として何を作るべきか。私は、今を生きる若い人たちに向けて、何かを言ってあげたいという思いを、強く抱くようになりました。
彼らの生きるこの国には、飢餓も、革命も、戦争もありません。衣食住に困らず、多くの人が、天寿を全うするまで生きてゆける社会を、我々は手に入れました。しかし、裏を返せば、それはとても辛いことなのではないか──と思うのです。望んで天国に逝った男が数日で飽きてしまった、という寓話がありますが、欲しかったものを目の前にした瞬間、そのものの本質が立ち現れる。人間とは、贅沢なものです。
私はこの歳になって、ますます生きることの難しさを実感し始めています。そして、これから人生の実相を知ることになる若者たちへ向けて、何か伝えるべき事があるのではないか、と考え始めたのです。

私は、この永遠にも似た生を生きなければならない現代人のおかれた状況そのものが、若者を中心とした、様々な痛ましい事件の本質的な理由なのではないかと考えています。
親が子を殺し、子が親を殺す時代。何の理由もなく、若者が自らの命を絶つ時代。物質的には豊かだけれど、今、この国に生きる人々の心の中には、荒涼とした精神的焦土が広がっているように思えてなりません。

そんな時代を生きる若者たちに、何を言ってあげたら良いだろう?

「スカイ・クロラ」の主人公たち「キルドレ」は、生まれながらにして、永遠の生を生きる事を宿命づけられた子供たちです。彼らは寿命で死ぬことがありません。普通に暮らしている以上、永遠に思春期=アドレッセンスな姿のままです。
映画の舞台は、あり得たかもしれないもうひとつの現代。キルドレたちは、大人たちが作った、我々が生きる現代社会の写し鏡のような「ショーとしての戦争」を戦っています。
彼らは、戦闘機のパイロットとして、大空で美しく戦う事を選びます。常に死を意識し、味方であろうが敵であろうが、他者に敬意を払って全力で戦う。その生き様は、とても美しい。彼らは、大人になれないのではなく、大人になることを選ばなかった。大人になって、何かを解ったようなふりをして、将来に夢や希望を持って生きようと声高に叫ぶよりも、今目の前の現実を受け容れ、日々を精一杯生きる事の方が、美しい生き方だと考えているからです。

ニートやフリーター、渋谷のセンター街で座り込む少女たち。親を殺した少年。彼らを、大人の目線で見下し、まるで病名のような名前を与えても、何の本質にも至りません。
彼らが何故、そういう生き方を選ばざるを得なかったのか。彼らが生きなければならない現代と、これからの未来は、一体どのような世界なのか。今こそ、彼らの心の奥底から聞こえる声に耳を澄まし、何かを言ってあげるべきだと思うのです。
この映画は、主人公のモノローグと共にクライマックスを迎えます。

それでも……昨日と今日は違う
今日と明日もきっと違うだろう
いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことが出来る
いつも通る道だからって景色は同じじゃない
それだけではいけないのか
それだけのことだからいけないのか

これが、この映画のテーマであり、若い人たちに伝えたいこと。
たとえ、永遠に続く生を生きることになっても、昨日と今日は違う。木々のざわめきや、風のにおい、隣にいる誰かのぬくもり。ささやかだけれど、確かに感じる事の出来る事を信じて生きてゆく──。そうやって世界を見れば、僕らが生きているこの世界は、そう捨てたものじゃない。同じ日々の繰り返しでも、見える風景は違う。その事を大事にして、過酷な現代を生きてゆこう。
僕はこの映画を通して、今を生きる若者達に、声高に叫ぶ空虚な正義や、紋切り型の励ましではなく、静かだけれど確かな「真実の希望」を伝えたいのです。

その為に私は、近年培ってきた演出手法を封じ、「イノセンス」とはまったく違うシナリオ・演出法をもって、この映画を、若い人へ向けたエンターテインメント作品として作ろうと決意を新たにしています。勿論、勝算はあります。

この映画に、多くの方々が賛同し、共に汗を流して下さる事を願ってやみません。
(http://anime.goo.ne.jp/contents/news/NAN20070622_81/index.htmlより)

映画とこのメッセージがなぜか、私の心から離れない。大人の知性は必要だが、監督がいうようなどうしようもない大人であってはならないと思う。大人のひとりとして思う。自分はこの世界をどうしたいのか?流されていて「仕方ない」といって逃げてばかりでは情けない。

大人が見て、考えるに足る映画はあるのです。

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