ITで遊ぶ

著作権とオープンソース

今日はVMWareが上場して、いい株価をつけたそうだ。今がピークの会社なので、今、株を売るのは正解だろうな。
で、VMWareのビジネスモデルはライセンス販売だ。
オープンソースにたずさわっている人が今、仮想化をしようとして使うのはQEMUではないだろうか。こう書くとVMWare支持者から、「いや、QEMUにはあれが足りない、これが出来ていない」という意見があるだろう。そっくりそのまま数年前のEMC2買収前のVMWareと同じ状況ではないだろうか。VMWare Workstationだけの長いシェアウェアに過ぎないころを知っているだけに、上場したというのは喜ばしくもある反面、「ふ?ん」というクールな反応もしたいところだ。

すでに、ソフトウェアだけで優位性を保ち、ライセンスというビジネスモデルで永続的に成功し続けるのはむつかしい気がしてしかたがない。翻ってみれば、ライセンスという著作権をもとにブラックボックス的ソフトウェアを売る商売はビルゲーツが元祖で彼と共に消えるのではないだろうか?
似たような構図は音楽業界に見られる。音楽とてゼロから発想した人は皆無だろうに、著作権、著作隣接権、著作権の延長、などなど、ひたすら権利を主張し、お金を出す人には「聞いてもいいよ」という極めて限定的な権利しか渡さない。それが妥当かどうかもよくわからないのをいいことに、誰もがうさん臭いと思っている、数年おきにドス黒い噂が巻き起こるJASRACなる団体に金を払えばいい、ということになっている。
Linuxのプログラムの使用料をわけのわからんJLinuxに払えといわれたら、皆、怒るだろうな。

SCOが裁判に負けて、UNIXの所有権もあやしいばかりか、GNUを憲法違反だとまで罵倒しておいて、その一部を売ることで利益を得ていたなんて惨めすぎる。(そういえば、JASRACとかSonyEntertainmentってLinuxとかオープンソースは当然使わないんだよね?PS2とかPSPでLinuxが動いてるってウソだよね。著作権を主張して商売する人々が著作権を主張しないプログラムを利用していてソースコードを公開しないなんていう恥知らずなことをしてないよね?)

Linuxの開発者として有名なリーナスは「ソフトウェアは人類共有の財産であり、それは科学的知識と同じだ。私が書いたプログラムはみんなのものだし、
そこから改変したものはみんなに返してほしい」というような趣旨の発言がGNUの精神だろう。

プログラムの世界で私がグラグラしている感じをもつのは、リーナスの主張はすでにサブカルチャではなく、IBM, hp, Sun Microsystemsなどなど名だたる企業が乗っているからだ。すでに著作権を商売の主流とみなしていない。
いずれの会社も仕事でオープンソースを開発している人々が大量に在籍し
ている。こう考えるとプログラムの世界のほうが後発ながら、新しい世界を模索しているといえよう。

音楽の著作権を気にしている人々は、「お金にならなければミュージシャンは、ヤル気にならない」と主張する。しかし、人気のないミュージシャンは掃いて捨てるほどいる。プログラムの世界では「俺は人類のために、こういうコードで貢献した。」で生活を捨てて満足している人が多くいる。「個のエゴ」がいい意味で健全に働いている。

私はどちらのビジネスモデルが残って行くのかはわからない。でも、「著作権があるから、それはそのまま一切変更してはならない。似たようなものも作ってはならない」と腫れ物に触るような文化より、プログラムのソースを見て「ここをこうしたら、もっとよくなるよね。ついでにこんな付けたししたんだけど、どうよ?」という議論のほうが、人としてすごく気持ちがいいし、人類の発展に貢献しているのは事実だ。

音楽について、門外漢なので、よくわからんまま、書いてみました。

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