高尾 司といいます。千葉県船橋市に長年、住んでいます。
(電車が集まってる駅なのと秋葉原まで電車で30分なところが好き)
そのうち、三浦半島に引っ越したいですねー。
サラリーマン生活のリタイアを考える時になりました。
65歳とか70歳まで人に使われるのはイヤです。
得意なこと
- 人がやらないビジネスの立ち上げ(ブルーオーシャン志向)
言い換えると身を粉にして働かないといけないレッドオーシャンの儲からないビジネスはしません! - 従業員を雇わないスモールスタートアップビジネスのたちあげ
- 大企業との営業的おつきあい(ずーっと国内大手ベンダーとのお付き合いをしていますから)
- 英語でビジネスすること(ずっと外資系)
- 電子機器の企画、ハードウェア、ソフトウェアの設計と制作、商品化 (そのための会社を家内が所有)
- (非合理的な)代替医療関係の先生たちからの(合理的な)電子機器制作の請け負い
表芸の職務経歴
いろいろ凸凹しましたが、結果的には転職するごとに給料をあげ、ずっと高い給料をいただけたサラリーマン生活でした。
病気もせずに終わることができました。
その技術も当ブログで共有したいと思います。
2008年9月- 現在 | SAP Global | – グローバルサポート部門(本社です)においてパートナーのサポートビジネスの方針を決めたり、日本の大手パートナーの保守サービスのカウンターパートをやっています。(誰も信じない。これでもAPJ代表でデシジョンできるんだけどね。とほほ) シニアマネージャは本社ウォルドルフにいるドイツ人。同僚はカナダ、スイス、アメリカ、ブラジル、ドイツ、中国、フィリピン。同じ仕事をしている同僚は日本にいません。 ゆえに英語は毎日仕事の道具です。うまくありません。メンバーみんな母国語は別で仕事で英語を使う人が主ですからネイティブ英語が偉い信仰はとうの昔にありません。 |
2007/5-2008/9 | 株式会社ラック | – オーナーがお亡くなりになって尖った色があせた感じがしています。現社長はプログラマーからの叩き上げですから期待しています。この間、SAPビルの近くに引っ越してこられたのでお会いしました。 |
2000/11-2007/4 | NTTコミュニケーションズ株式会社 | – 回線部門には尊敬できるタレントぞろいでした。 コンピューターを使う事業の立ち上げのため入社しました。 が、同じことをやっていたNTTプロパーと随分戦いました。私達が作った構成図を某社に投げて「同じものを作って欲しい。予算はいくらでもいい」と言った部長もいました。彼らって私達を「外の人」と称し戦おうとしていました。言い換えると世の中と戦おうとするのです。虚しい努力です。 部門の大半が3年ローテーションのため、社員は真面目に仕事を覚えようとしない。仕事について浮ついていて雇った会社に丸投げ。自分はなにもできないのに、変なプライドはもっている。経営者次第で変わるでしょう。 |
1999/4-2000/10 | いまだに細々続いているプライベートカンパニー | – IT技術のトレンド、自らの立場をよく理解していないで儲からない商売をずーっと続けているのがスゴイ。 クラウドの時代なのに「お客様目線で」ってなんだよ? 簡単にビジネスチャンスを見つける私が大嫌いだったようです。このブログに書いていますが、社長の嫉妬はひどいもんでした。笑 |
1997/9-1999/3 | ピープルソフトジャパン株式会社 | – 楽しい会社でしたが、残党が「外資系ゴロ」に成り下がっていて悲しい限り。 |
1983/4-1997/8 | 日本IBM株式会社 | – 銀行の勘定系のシステムテストのために大量にプログラムを書いた珍しいSEでした。IBMのソフト、ハードウェア製品を夜中に実際にテストしまくってすごーく知ることができるポジションにいられたのは、メチャクチャラッキーでした。 メインフレームの知識は研修に出て先輩エンジニアに教えてもらうという形でしたが、誰も知らない機能はテストしてみるしかない、という環境にいたおかげで独学スタイルができました。 その後世の中に出てきた技術(TCP/IP, Dynamic HTML, CSS, Linux, C, Perl, PHP, MS Visual Baisc, WIndows NT、javascriptなどなど)はすべて独学で覚えて仕事をするというイマドキの態度を身に着けたハシリのエンジニアかもしれません。 最後は運用監視ツールの製品オーナーしましたが、赤字になるので阻止しました。笑 30年も経って後輩がいまだに私が書いたアセンブラーとPL/Iプログラムを使っていると聞いて残念に思いました。 銀行のSEをやっているころは結構、パワハラ受けました。 今より昔の職場のほうが野蛮でしたよ。自席でタバコ吸い放題だったし。 |
IBMで仕事を始めたころは、自分はずーっと1エンジニアで終わるだろうと思っていました。
それがお客さんとのやり取り、事業のあり方を知ると、そんじょそこいらの営業出身の人間に負ける気がしません。
なぜならば、すべてはシステムなのです。
生涯さまざまな分野のエンジニアでありたいものです。
自分の能力を限定しないでください。このブログが続く人の役に立ちますように。