絵画と麻雀

雑感(日記)

西洋絵画って鑑賞するために事前知識がいるって、どれくらいの人が知っているのだろうか?

ここでは例として受胎告知、レオナルド・ダ・ビンチ(ビンチ村のレオナルド)作について考えてみよう。

この絵は聖マリアが受胎を左の天使から知らされた絵です。

レオナルド・ダ・ビンチはちょうどいい時代に生きており、職業画家という職業が成立しつつあるころに生きていたらしい。(Wikipediaなら「出典はどこだ?」と否定されつくすところだ。みなさん、Wikipediaって出典厨が跋扈しているので、専門家は書き込まないということを知ってください。)

天使ガブリエルの奥にあるゆりの花ですが、マリアの処女性とフィレンツェの象徴とされます。

閉じたように見える庭園も処女の象徴のようですが、天使ガブリエルの手元の奥を見ると塀がなく開かれた部分があり、ますね。しかもそこへユリが重なって描写されています。
通常、マリアの処女性をゆりにたくす場合、おしべを書くことはないのです。

マリアが後ろにしている堅牢な建物はキリスト教の将来の暗示でしょうか。

マリアの前に描かれた大理石のテーブルは、おそらくヴェロッキオが同時期に手掛けたフィレンツェのピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチの墓碑。

天使ガブリエルは、右手の人差し指と中指を立ててピースサイン(Vサイン)のような形をつくっていますが、これは聖母マリアへの祝福を表しています。

一方、聖母マリアは最初に驚き、胸騒ぎを感じ、やがて天命を受け入れ、最後に神のしもべとして従順になっていくという段階的な精神状態のプロセスを辿っていくのが聖書です。
レオナルド・ダ・ヴィンチはマリアに左手では驚きの心情を表させているものの、その気品漂う表情は無表情といっていいいでしょう。ダ・ビンチは驚きと受け入れを同時にあらわしているのでしょうか。

聖母マリアが受胎告知直前まで読んでいたとされる書物は、紀元前8世紀の預言者イザヤに関する旧約聖書の一つ「イザヤ書」で、具体的な箇所としては、預言者イザヤが「見よ、乙女がみごもって男の子を産み その子をインマヌエルと呼ぶ」と救世主イエスの誕生を予言した部分(77章14節)とするのが一般的な設定らしいです。
ここでは、その読みかけのページに指を挟んでいるとされています。

さて、かように昔の宗教画というものは、モチーフを知らないと楽しくないのです。

「わー、きれい」じゃ、西洋の昔の絵はなにも見ていないことになります。そういう意図で描かれていないのですよ。

知ってた?

「おまえ、テキトーなこと言ってんじゃねーよ」という方は聖書象徴事典など、西洋絵画鑑賞の時に必須の事典を参照することを強く、強ーくオススメします。決まった様式、決まった象徴を使って絵画は描かれるべきものだったのです。

逆に言えば、この絵のモチーフを、専門家が言うことを、知っているとおもしろいわけです。

なんとなく麻雀に似てるといつも思うんです。

メンドくさいルールを知っていると楽しい。

世の中ってそんなものが多くないですか?

「素人にもわかるように説明しろ!」って怒鳴っているおじさん、おばさんって人生の楽しみ方を知らないな、となにごとであれ、思います。

そして、そういう今の日本の教養を無視した偏差値社会がさみしい。
知が軽んじられる社会って、ミャンマーのポルポト政権や中国の文化大革命みたいに没落するしかないと思うのですよ。

日本の偏差値教育(偏差値に関与するもの以外は、クダランものだ思想)はいつなくなるのだろうか?

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