人生と死

雑感(日記)

死は都会では巧みに隠されます。

ほとんどの人は病院でひっそりと亡くなります。
芸能人などはしばらく見ないな、と思っていたらニュースで訃報を知ります。
死は普通の生活から隠されているだけに、普段、考えもせずに自分は未来永劫、今の年齢のまま生きていると勘違いしている人も多いようです。

本当にスマホって人から考えを奪いますね。

私はとっくに人生は折り返していて、最近発見したのですが、おそらくもう1万日も生きることはないでしょう。

そういう私が人生について考える時、若者にいくつか言い残しておきたいことがあります。
言い換えると爺の繰り言なので、あまり読むべきではないかもしれません。

なぜ、年寄は「思ったことはやれ」というのか?

しばしば年寄りは「思ったことはやったほうがよかった」という後悔を口にします。
一方で若いうちは「やりたいことを親に否定され、生活できないと脅された」といいます。
なぜでしょうか?

それは世間一般の常識をどれくらい信じるか?にかかっているのです。
このブログでこの間も書きましたが、ほとんどの人がお金について正しい理解をもっていません。
にもかかわらず「それじゃ、生活できない」と断言します。

私は今、人生がいかに短いかを知っています。
この言葉だけだと月並みに見えるでしょうけれども、世界は一人の人が生きている間だけで理解するにはデカすぎる、といえば真意をご理解いただけるでしょうか?

私だってそれほど世界を知っているわけではありませんが、腕になんの技術もなく一社のサラリーマンしか経験していない人よりは世界を知っています。

大人が簡単に「それじゃ生活できない」という言葉は実は「そういうことで生活できる方法を俺は知らない」が正しいのです。言葉どおりに受け止めてはいけません。
それゆえ年寄りになり知恵がつくと「あーでも、こーでも、どうとでもなったのに」と思うのです。

なぜ、年配の人は若者を元気づけないのか不思議で仕方がありません。

さて、時がどのように人を侵食していくかの、良い記事が以下のリンクにあります。
4人姉妹が毎年写真を取り続けたという稀有な写真です。
あなたはこれを見ることで、40年x4=160年の人の変化を見ることができます。

4姉妹のストーリー

撮り始めは姉妹の誰かが25歳の時から始まっています。
みんなの顔を見ていると、どれくらいの年齢だとどういう悩みをかかえているのか、その表情から推察できます。
人生が無限の長さではない、年齢によりテーマが変わることをこの人達の表情で知ることができます。

あなたの人生の目的は?

多くの人が親のガイドが悪いため「自分にあった仕事を探す(天職はなに?)」という疑問を持ちます。
これは間違いです。
人は最初から完成品で生まれてくるわけではありません。
だんだん成長します。
その成長がにぶいか、急速であるかの違いはありますが。

30年くらい前に、東洋の占術をずいぶん調べたことがあります。いまだに名著が出ると読みもしないのに買う癖がついています。
その研究でわかったことは、占いでいう適職って性格論から来ています。たとえば他人と積極的に交われる人は営業に向くなんて感じです。
でも、長年サラリーマンやってきて思うことは、営業って一種のサービス業であって積極的な人だから売れるとも限らないです。調子はいいけどお客さんの考えていることを見抜けなければクロージングできません。
しかも占い師のまぬけなところは50歳過ぎた人にも平気で「適職は」なんて言ってしまうところです。
占い師自身が自分がやっていることを理解できていません。

じゃぁ、どうやって適職って発見するのでしょうか?

わかっていることは「自然にまかせろ」です。

たとえば私は子供のころからラジオ少年でした。長じてコンピューターのエンジニアになる。しかもラジオ少年であるがゆえに、ソフトウェアだけじゃ飽き足らず、ハードウェアに興味をいだき続ける、というように長い目でみたら一貫しています。

普通の人も似たようなテーマをもっています。いつも興味をひくもの、知識をたくわえているものが子供のころからあるはずです。
それを目先のカネで「給料がいいから、こっち」というエゴに基づく判断をするから人生が歪むのではないかと思います。(違う人もいるでしょう、ごめんね)

人生のテーマを自覚すると、自分の能力を伸ばしやすいのです。どういうことかというと成長に応じて適職は変わります。

かといって成長を待ちすぎるとうまくいきません。
もっとも悲しいストーリーは「将来のため」と必死に勉強したり、なにかやりたいことを我慢し続けている間に突然、病気や事故で死んでしまうことです。いや、死なずとも大怪我などでその目的を追うことができなくなった時、人はどうするでしょうか?

実はここに人の考え方を超えた力が働いています。
目標を変更するということは、自分に向き合うチャンスと捉えるしかありません。
だって新たな人生の価値を見出すしかないじゃないですか。

私の経験からも言い切れます。
答えは自分がもっとも向きたくない方向に転がっていることがよくあります。
失ったものは辛いですが、新しい方向を向くかどうかで、人の生き様は変わります。

「幸運は不幸の姿をして訪れる」

は肝に銘じておいてください。

多くの人が、その時点でもっとも訳のわからないところにベストの解決策が埋まっていることが多いのです。
その時点では知識がないためわからなかった真実が、時を経てモノの見方が変わったらベストだとわかるのです。

同様のことが私のような60歳が見えてくるといえます。
この年で「将来」とか考えている人間は愚か者です。
同年代の友達や知り合いで亡くなった人はいるだろうに、自分はいつまでも生きていると思いこんでいます。

冒頭に書いたように、もう一万日も生きないんですよ?

それで「将来」のために貯金したり、人に迷惑をかける。
いい加減に自分は人生の午後にいて、いかに他者の役に立つのか?アウトプットをするべき年齢に到達してしまっているのだ、とわかってほしいものです。

もし、あなたの周囲に年配なのに自分のことしか考えられない人がいるならば幼稚な人です。
外見は取り繕われているでしょうから、余計に惨めさが漂います。

いい例えかどうかわかりませんが、池袋で車を暴走させた飯塚幸三氏は役人生活の間はエリートだったのでしょう。
いざ事故を起こすと取材に対し、「安全な車を開発するようにメーカーの方に心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしいと思っております」などという車を作った人が悪いというような幼稚な発言しかできないのです。

過去の人生で肩書に夢中で、自分についての洞察など考えたこともないのでしょう。
私の先輩にも、若者を嫉妬し否定することしかしない、口を開けばネガティブなことしかいわない、打算や同情でつきあってもらえていることに気づかない、自分が楽しいことだけを人に頼む、幼稚な人はたくさんいます。
同情してあげて、他山の石としてください。
年功序列がいかに間違っているかわかります。

これをやりたいという思いが魂からの思いであれば、そのプロセスを楽しみましょう。
それはやっていれば他人の評価ではなく、自分が納得します。
結果を求めることはエゴだと私は思います。
でなければ、目的思考になりモラルも下がるし、他人基準だと永遠に満足はできないし、完遂できなければ失敗だと自分を責めることにもなります。
モノゴトの成功はタイミングがすべてではないでしょうか?

能力、才能

そして「能力」というものはそれほど習得が大変ではありません。

多くの人は能力について誤解しています。
しばしばリストラについて書いていますが、役職定年が55歳だとすると、今の企業って23歳から55歳までの30年間くらいしか能力を評価されないわけです。

たった30年で終わりですよ?

その中で勉強やトレーニングだけやっているわけではありませんから、プロという人だってそんなにすごいスキルじゃないということがわかります。
技術は人類代々引き継がれていきますから、それを見て感動するのは当然ですが、個人を見て感動するというのは半分正しく(その人の努力)、半分間違って(伝統の力)います。

巨匠の宮崎駿ですら「才能なんて考えるとイヤになる」とおっしゃっているのが、正しい才能評価でしょう。

マスコミや周囲の人がいう才能ってそれほど卓越したものではない(除く天才)とクールになりましょう。

天才といえば、医師とか弁護士とかに感心してはいけません。
あれも、過去の人類の知識を学ぶことが得意な人々であって、天才のようにゼロからなにかを作り出せる才能に恵まれているわけではありません。

そう考えると能力って真摯に仕事に向き合っている限り、それほど人により大差はないと思えます。
自分のことを考え抜いていくと、他人へのやっかみや嫉妬ってどうでもよくなりませんか?
自分の人生は自分が決めることですから。会社の環境などに過剰に反応する必要はありません。
どうせ転職することでしょうし。

ひとつの能力で評価するのではなく、能力のコンビネーションがもたらす総合力が人生では役に立ちます。

死とは

スピリチュアルな世界では、魂がこの世でなすべきことをなしとげたら肉体を離れる、と言います。
もし、この考えが正しいならば、若くして亡くなった人にも意味のある人生だったということです。
その意味が我々からしたら許されないことであることもありますが。

少なくとも、人生を楽しんでもおらず、ダラダラ生きていることは魂にとってもよいことではないでしょう。

エリザベス・キューブラ・ロスという精神科医がいました。この方は死を研究し「死ぬ瞬間」という本を書き、一躍有名になりました。
有名になりエゴがでてきたのでしょう、本には悟ったようなことを書いていながら、自らの死の直前は「死にたくない」と大騒ぎをしたようです。Youtubeにインタビューがありますが、まぁひどいもんです。
そのみっともなさを含めて、人の死がなんであるかを示した方でした。

最後ですが、しばしばドクロをテーマにした図というものは世界中にあります。
これは「どんな美人も時が経てば、ドクロ」だという人生のはかなさを知らせるものなのだそうです。
日本では九相図という小野小町が腐乱していく図が有名です。

そう知っているとドクロもなかなか意味深いものですね。

自分もいつか死ぬ、その時は手ぶらであり、ただ体験しか持てないことは忘れないようにしましょう。

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