「新潮45」休刊を嘆く危険な人々

雑感(日記)

あらためて言うまでもなく杉田水脈の文章を起点として、それを支持する文章を掲載し、炎上したせいで「新潮45」は休刊(事実上、終わり)となった。

それについて雑誌WILL 2018年12月号には「新潮45」はなぜ腰砕けしたか、とか、月刊Hanadaなどは「新潮45」と言論の自由などのタイトルで杉田水脈関連を支持している。

残念だがほとんどの論調が、ついこの間成立した「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」いわゆるヘイトスピーチ禁止法の理念からするとあってはならないと思う。

杉田水脈の意見を養護する人々は「言論の自由」をもちだす。じゃぁ、ヘイトスピーチも構わないわけだ。

しかしヘイトスピーチを法律でやめさせる理由は「不当な差別的言動」がいけないと言っている。

言論の自由だって差別については制限が加わって当然だ。
そういうふうに日本はとっくに決めている。

 

そして「LGBTは子どもを成さないから生産性がない」(から擁護する必要はない)は差別だ。

国会議員がこんなことを言ってはいけない。

なぜならば、この論理は危険だ。
「会社で評価の低い者は生産性がない」から守る必要がない、
「身体に障害がある者は生産性が低い」から守る必要がない、
「目が悪い者は生産性が低い」から守る必要がない、
という論理に簡単に展開できる。

こんなこと言ってたら、国民の90%はなんらかの理由で生産性が低いだろう。
なぜ、みんな怒らないのか?

ここのところシリアで捉えられていた安田純平氏が解放された。
これについて「自己責任」だから擁護する必要がない、と言う人たちがいる。
おそらく「危険地帯に向かうのは自己責任だから、国が守る必要がない」と言いたいのだろう。
しかし、それは大間違いだ。
確かに国民の中には自ら危険地帯に行く者もいるだろう。それは自由だし多様性だ。
不幸にして射殺されたり、レイプされ殺されたり、拘束される人も出る。

理由はさまざま。

その時に日本政府がなにもしなかったら、それはもう国家じゃない。
国家は国民を守る義務があるから。
だから警察も自衛隊も正当化される。守るために暴力装置を持ってていいのだ。

その人の行動が生産性があるとかないとか、そんな判断をして国家の活動が国民によって異なるなんてことになったら大変だ。

あなたが海外を旅行していてトラブルに巻き込まれ日本領事館に助けを求めたとする。
そこで「あなたは生産性が低い国民だから、助ける必要はない」と言われたらどうする?

法の元の平等はどうなる?

簡単に、他人に迷惑をかけるな、とか、自己責任だからどうでもいい、という人間は日本国ということについて考え直したほうがいい。
以前も書いたがアメリカ合衆国は戦死した兵士の遺体は可能な限りすべて故郷に戻す。
アジアに遺骨をばらまいたままの日本とは大違いだ。

国家とは誰か偉い人のためにあるのではなく、国民のためにある。だから税金も正当化される。

日本の政権を担い国民に責任のある政党である自民党が、杉田水脈を議員のまま居させている見識をマジで疑う。

当人は「これから勉強する」とか言ってるようだが、「議員は勉強した人」じゃなきゃおかしいだろう。

安倍独裁政権のあだ花なんだな、と思う。

どんな政治家も人間である限り、年数が過ぎると身を引かざるをえない。
海外だと大統領や主席が法律をかえて自分を終身独裁者にするが、日本ではそうはいかない。

日本の国民の大多数が明日に希望をもてないから、弱者に暴言を吐きそれを言論の自由とうそぶく、思考力もモラルも低い人間が、恥ずかしげもなく持論をネットに垂れ流すのではなかろうか。

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