雑誌SPAに 「私服がない・友達いない・趣味がない」三重苦おじさんの行く末という記事がでていた。

ちょうど、時計を題材にしておっさんの私服などについて考えていたところなので、もう少しおっさんの考え方について語ってみたい。

このブログで強く主張しているように、自分の同期をふくめおっさんは「仕事にのめり込みすぎ」だ。

なぜそうするのかといえば、「仕事のため」は人生のすべての面倒事から逃げられる万能の言い訳だからだ。

家庭内のゴタゴタも、それで逃げ出せる。
銀座でババアと飲んだり、ゴルフに行くことも「仕事のため」と言い訳をすれば罪悪感なく遊べる。

休日は肝臓の回復のために本当にぐったりしているから、会社と取引先以外の人間関係など皆無。

おっさんは認めないが「会社が忙しい」のはラクな生き方なのだ。
仕事が大変だという理由は会社が求めもしないところまで深入りしているからに過ぎない。

時間を浪費する、体力を浪費する、でしか会社に貢献できない自分の無能っぷりをよく知っている。
能力がないからコミュニケーション能力と称して、周囲の空気を読んで忖度することしかできない

いつも言うけど、付加価値って尖った人間にしか作れない。その場に参加していたからって本当はたいしたことをしていないことは自分でわかってるだろうに。

コミュニケーション能力とやらを生かして、あちこちで美味しい話に耳をダンボにして参加していれば、自分で決断して自分で結果を負うってことしなくて済む。
さらに部下や若者には威張り散らせる。あなたの無責任さは見抜かれてる。

でも気付いてると思うけど、そうやって誰も変えようとしないからあなたの会社って入社したころより確実に悪くなってるよね。

本音ではあと10年もたないんじゃないかって思ってる。

にもかかわらず毎日の雑事に逃げ込んで、

会社をはずした俺は何者?

って考えない。

いつも書くけど、日本、韓国以外の国の人は常に考えていることなんだけどね。

ここは日本だ。同じようなおっさんが周囲に大量にいるから安心している。
みんなと同じであることが大問題なんだけど、そこまで考えていない。

ちなみに自分から能動的に動かないものは趣味(hobby)って言わない。

hobbyってかなり凝っていることをいう。

 

さて、ここからが本論。

読書、テレビ鑑賞、映画鑑賞、食べ歩き、旅行。こんな受け身なものは趣味じゃない。
有料サービスを消費しているだけ。

もちろん、つきつめれば別だけど、電車の中でもみんながやっている程度はhobbyじゃない。

「好きなことで飯が食えれば苦労しない」とよく人はいう。

そういう人に限って、時間潰しはもっていても、本当の意味でのhobbyはもっていないのではないか。

なぜ、そう言えるかというと、私の場合、興味のあるジャンルをつきつめ始めて一年ほど経つと、まず起きる現象はそのジャンルの月刊誌がくだらなく見えてくる。すでに知ってることばかりが載るという経験が何度かある。

考えてみれば、その時点ですでに編集部の知識を上回っている。そこで「こんなものがあったらいいな」はしばらくすると世の中に出てくる。

世の中を見回してみると「読者モデル」って人は、服を作ることはできないけれど、コーディネーションなどで編集部の能力を超えているから存在するのではなかろうか。

いろんなコンテストってのも、賞を与えるほうは偉そうにしているが、内情は自分たちに限界があるから安く調達するためにやるのが本当の動機ではなかろうか。
じゃなきゃ、説明がつかない。

趣味もつきつめてhobbyになると、供給側の観点をもてるようになる。そこから人脈やビジネスが広がっていけるようになる。

長年勤めた会社しか知らないおっさんはそういう消費側から供給側にまわる世界を見ようともしないのだろう。

ビジネスの本質など新聞に書かれるわけがない。
サラリーマン記者の能力を上回っている。

そんなに狭い世間で生きていて、専業主婦であろうと奥さんの意見をバカにすることが、なぜできるのか不思議で仕方がない。違う世界を知る大きなチャンスなのに。

私はビジネス書でも著者がずっと文化系の学校にしかいない視野の狭い人の本は読まない。時間の無駄。理論倒れでもっとよい本はいくらでもある。
理工系出身の先生が社会を題材にとった本は読み応えがある。現実を説明できていないものは意味がないと知っているから読むに足る。