あえて、ドラッガーは悪だ、という

何年もずーっと思っていたことが言葉にできる段階にきた。

たくさん違和感があった。例を書く。

  • 私が大学生のころパソコンはデジタルオタクのおもちゃだった。それが今は「パソコンができないとダメ」といわれるようになった。
  • 私がインターネットを始めて経験した時、そこでお店を作ることは費用ばかりかかって売れるわけがないといわれた。
  • 私がGoogleを議論している時、Yahoo!に勝てるわけがないといわれた。
  • IT系企業なんて、既存大企業につぶされるとよくいわれた。
  • 派遣がスペシャリストではなく、雇用者より下という階層になった。

これらを言っていた人々は誰か?そう、世の中のエスタブリッシュメントといわれる人々である。彼等は、ピータードラッガーのような人の著作を崇拝し、それが理解できないものとできるものの間には階級があると決めている。

「もしドラ」があれほど売れた理由のひとつは内容はともかく、とても多くのサラリーマンがその「聖なる書物」について知りたかったからではないだろうか。

ここのところ知っているエスタブリッシュメントの人間がのうのうとAmazonなどに転職をするのを見て唖然とする。彼等はには口とはうらはらに事業に対する想いもなければ、過去にくだした判断への責任感もない。最後はお金だけ。

上の例にあげたように、もともとはサブカルチャー出身のものをくさしていて、成功すれば、さも自分たちはその専門家であるようなはったりをかます。ちょうど最近だとiPadをもてはやしているのも同じだ。

逆に彼等の最大の弱みは、手足がいないとなにもできない。「部下をつけろ」「俺(私)のいうとおりにやりなさい」「計画どおりにやらないから、うまくいかないのだ」。彼等の口車にのってくれる人がいなければ無意味なのだ。
つまりドラッガーやその周辺で騒がしい人達は「管理」の専門家というだけで、それだとかっこ悪いから「経営」といっているだけだ。

ドラッガーの著作では経営者も管理者も、責任を伴う。全体では労働者も幸せになるストーリを彼は作ったつもりだろう。しかし、それは無視され、悪用されている。

日本の企業を見て思う。管理できるはずもない人を無理に管理者にして残業カットしてみたり、成果主義というのをやってみたり、本音は費用削減の方法に悪用したに過ぎない。それについて日本でのドラッガーの信奉者達はきちんと「違う」ということすらやらなかった。「コンサルティング」のネタになると考えたからだろう。それで一方では、「経営の専門家」だと世の中に自称してきたのだ。

今の日本企業内部がぎくしゃくしているのは、「管理」を中途半端に変えてしまって、ドラッガーがいうレベルにももっていけないし、戻せなくもなってしまったからじゃないかという気がする。社内の信頼を目先の金に変えてしまったというべきか。組織は壊れてしまった。
上から下にまで蔓延している「嫌なら辞めろ」は端的にこの事態を表している。

おそらく日本でこれから伸びる企業は、管理職がいないか、軍隊の悪いところ(トップダウンのみ)をまねるか、どちらか極端だと思う。
ごく少数はドラッガーを活用できるだろうが、それは経営者とリーダーにとてつもない知性、責任と実践を要求する。
そして既存企業のリーダーはそんな根性もなければ、壊れた組織という自覚すらないだろうから、後者に傾いていくだろう。

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