自己分析、自己PR

ずいぶん昔から、新卒の学生は「自己分析」をするものだと決まっているらしい。

この言葉を聞くたびに、人間に対する洞察が甘いと思う。

最初に自己分析というのをなぜやるのか?ということへの答えが「言動がぶれず、自分が何者であるかを人事に伝えるため。」であるそうだ。

手っ取り早くいえば、社会人のおじさんが多少つっこんだ質問をしてもグラグラしないための対策、ですね。ウソはお互い不幸になるのでやめておきましょう。

でも、そのために自分の一生を振り返るというのは、はなはだ論理に飛躍があります。ここまでの議論は「人の性格は本来一定だ」という暗黙の了解事項があることに気づいて欲しいですね。
ところが人の性格はまるで一定していないのである。あなたの周囲にいませんか?「車に乗ったら性格が変わる」「酔っ払うと性格が変わる」「会社ではブイブイ言わせているけど、家では奥さんの尻に敷かれているそうだ」

これらは例外でしょうか?いいえ、違います。これが普通なのです。
人はいろいろな社会に属して生きています。小学校の同窓会、サークル、大学のクラス、家庭、それぞれで役割をもっているし、周囲はその役割をとおして人を見ます。これをロールモデルといいます。

学生がやらないといけないことは、「当面の社会人としてのロールモデルを明確にする」ということではないのですか?

学生時代になにをした、とか、どうでもいいことです。なぜならば、いろんなことをやったに決まっていて、それをどういうストーリーの上で意味づけするかはロールモデルで決まるからです。

これだけじゃ、子供にはわからないでしょうから例をあげます。
今日、行きがけの電車で席を譲った、とします。
もともと老齢者のサポートに興味があり、電車に乗っても自動的に老齢者を目で追ってしまう自分がいたから素早く席を譲ってしまった、とのがあなたの動機でしょうか。
満員電車の中でよろよろしていると、通勤客全員にとって不幸だ、電車に乗った人々は一見バラバラだが、同じ方向へ移動する組織、とプロジェクトマネージャ的ビューで見ると、ここは素早く席に座っていただいたほうがいいと判断しました、というのがあなたの動機でしょうか。

このように行為が、どういう動機でなされたのかで説明も世の中の見え方も、まったく変わります。

自分が理想の会社で社会人だったら、どういう行動を取る人がイチバン自分らしいか、考えてみてください。例えば勤務時間外に残業を命じられたらどうするか、失敗したらどうするか、などなど、ネタは新人が悩む行動などにいくらでも転がっています。

そういう中で、矢面にたっていきたいのか、フォロワーでいきたいのか、といった自分らしさをきめます。

しばしば会社というものがわかっていない人が、会社は同じような人を採用する、といいます。それは違います。社風というのは、会社の価値観です。
客に不義理をしてでも今年の売上をあげ、来年は謝ればいいという外資系のような仕事の仕方をするのか、今年買ってくれなくてもお客様だから関係は継続すると思うか、といったことは会社の価値観です。社風です。

その社風を共有した上で、パイオニアもいればフォロワーも組織には必要なのです。全員がリーダーシップのあるパイオニアだと、誰がルーチンワークをきっちり詰めていくのでしょうか?そんなことはビジネスマンなら誰もがわかっているし、パイオニアで走りがちな人ほどフォロワーは大事にするものなのです。

最後に、「即戦力」という言葉への誤解を書いておきたいと思います。即戦力とは、その会社に入社したら、3ヶ月弱でもう最前線で仕事する人をいいます。英語、簿記、それらが出来ることは即戦力とはいいません。企業によっては不勉強な人事が完璧に誤解しています。自分が最前線で仕事をした経験がないために資格=即戦力だと思っています。書類選考を通るために、最低の資格はなにか?と考えることと、資格は強みだ、と誤解することでは資格取得へのアプローチが変わると思います。

即戦力を必要とする企業は新人は採用しません。半年、一年、穀潰しを雇っておく余裕はないのです。逆に中小企業の社長さんなどがうれしそうに「ウチもついに新卒を採用した」ということは、それだけお金に余裕のある会社になれた、ということを言っているのです。

最後に繰り返します。まず自分が企業で働くならどんな人間になりそうか妄想してください。そしてそれにふさわしい経歴を「自己分析」してください。資格は書類をパスする手段に過ぎません。それよりは興味をもった方向のほうがはるかに強い動機であり、その熱意が、人事以外の面接担当官に届けば、いくらでも内定は取れますとも。

その面接から、すでにロールモデルを演ずることは始まっているのです。

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