高校生時代は難しい

ただいま、マック。

この間のパソコンでモバイルテストのため、近所のマックにいます。
後ろでは女子高生が、でっかい声で彼氏の家に行き、起きた出来事(ふくむ、XXX)についてラウドボイスで語っています。昔も今も変わらず、いち早く大人っぽい体験したものがエライという雰囲気は否めません。「そのうちわかるよ」苗から目線発言が目立ちます。

小一時間いる間、話の内容の98%は男と恋愛と取り巻く人間関係の話です。相手の男は十七歳でビールを飲む労働者で、ちょっとその大人の世界を感じる点に惚れているようです。

一方で、おそらく、そんなことに脇目もふらずに勉強している高校生もいるでしょう。

勉強のできない子にとっては、うだつのあがらない成績しか出ない勉強と、ちょっと大胆に男に身を任せれば、プチ大人体験を語れ今、自尊心を満足できる体験とでは、後者にのめり込むのは当然でしょうね。

友達に自慢したいという思いがあれど、大人の打算づくのお付き合いよりははるかにストレートではあり、それは十代じゃないとできないことだとも思います。

でも、ここで勉強していなければ、生涯、脳の発達において複雑なことを記憶、判断する能力を育てることは極めて困難であることも事実でしょう。 人生、やりなおせることとやりなおせないことは肉体上にはあります。

かといって、まだ見ぬ明日だけ見て、今という現実を無視して抜け殻のように生きていることも誤っています。
先日、喫茶店で熱心に勉強する高校生の横に熱心に帳票を精査しているオバサンが座っていました。熱心にやったからといって、付加価値の高い仕事ができるかどうかは別です。

五十歳をすぎた私にも明確な答えはありません。せいぜい、バランスよくね、としか言えないです。

こうやって考えると、「大人」といえどもたいして進歩はしていないな、と思います。大声でしかる人がいないから、俺はすごい、私はすごい、とのさばっているだけではないでしょうか?

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